多芸花人(芸花の人多し)(「桐橋倚棹録」)
人間があまりいないところなら、いいところかも知れません。

呪ってると穴が二つあいてたりするので、呪わずに避けるといいとおもう。でも避けられないなら呪うしかないか。
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清のころの蘇州、虎丘に近い一天門を通り斟酌橋を渡って東側に、花園巷という通りがあった。
巷口即花場、毎晨鬻花処也。凡山塘市肆、工作、多散居于諸巷之内。
巷口即ち花場にして、毎晨花を鬻ぐところなり。およそ山塘・市肆・工作、多く諸巷のうちに散居す。
通りの入り口のところがもう花売り場で、毎朝、花を売りたい人たちがそこに集まってくる。このあたり、あちこちの通りに、(花を植える)土手、花屋、細工場が散らばっている。
木犀径、在花園巷内。
木犀径、花園巷の内に在り。
木犀小路は、その花園通りの途中にある。
其地多芸花人所居、遍地種桂、高下林立。
その地、多く芸花の人の居る所にして、遍地に桂を種え、高下林立せり。
この小路には、花を栽培している人がたくさん住んでいて、どこもかしこもモクセイを植え、背の高いのから低いのまで、モクセイの林の中に紛れ込んだかというほどに並んでいる。
「桂」は「モクセイ」。「芸」は、本来、「くさぎる」「栽培する」で「うん」と読む字です。当用漢字を定めるときに、「藝」(げい)の字が書くのめんどくさいやん、というので「芸」を宛ててしまったので、今ではみんな「げい」と呼んで「藝能」や「園藝」の意味に使ってしまっています。固有名詞の「安藝」国も「安芸」になってしまっているのでわたしども古くより俗世と仙界を行き来している者は驚いてしまうことがままありますじゃ。
まあ、でも「相も変わらず何事も変わっていく」のが俗世の習い、惜しむこともありますまい。
花時、人至其閒、香沁肺腑、如行天香深処。
花時、人その間に至れば、香り肺腑に沁みて、天香の深き処を行くが如し。
モクセイの花の季節に、その小路に行ってみなされ。呼吸とともに香りが肺腑にしみ込んで、まるで天界(はどこでもいい匂いがするのですが)の香りの濃厚なところを歩いているような気分になる。
乾嘉間、莫家浜一帯桂花尤盛、游者往往自一天門渡至其処、徘徊不去。
乾嘉の間、莫家浜一帯は桂花もっとも盛んにして、游者往往、一天門より渡りてその処に至り、徘徊去らざるなり。
蘇州の町中から来て、一天門を出ると、莫家浜という川沿いの土地に出る。上述の斟酌橋を渡ると花園巷ですが、このあたりは、乾隆(1736~95)・嘉慶(1796~1820)年間の清朝の最盛期には、モクセイの花の栽培が今よりも盛んであった。散策する者たちがそのあたりを徘徊して、一日中帰ろうとしなかったという。
モクセイの香りは天の香りだったんですね。吸い込んでいると頭脳明晰になるかも知れません。しかしやり抜く力は生まれません。企業(上司)にうまく使われてもアレだしな。くっくっく。
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清・顧禄「桐橋倚棹録」巻七より。こんなところに行ってみたくなりますが、その後、太平天国や辛亥革命や日中戦争でどうなったでしょうか。
筆者はこちらで年中行事書いてたひとですが、この蘇州の町案内も書いています。
今日は寒露節、いよいよ秋深まって、間もなく木犀の季節になってまいります。
木犀に人を思ひて徘徊す (尾崎放哉)
咳しても一人です。困った人がいるよりも孤独の方がよきかも。
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