令和8年4月25日(土)・・・読谷村の山田を調査しました。
〇山田の古集落跡 ・・・ 沖縄戦後まで山田の村は今の58号線の東側にあった(今は西側にある)そうで、いわゆる「古島」(以前の集落をいう)ということになります。

「むらやー跡」の碑。「村屋」は近世の村役場です。沖縄戦前までは保存されていたそうですが、昭和期にはもう使われてはいなかったと書いてあります。
〇メーガー ・・・ 古島の前井(まえがわ)。山田城跡の麓に当たります。

もう水は涸れているようです。直前の雨でぬれていますが。
〇護佐丸父祖の墓 ・・・ 護佐丸の子孫が康煕年間に父祖の墓として祀り直したが、さらに乾隆年間に碑を建てて、今後毎年祠ることにしたと書いてあるそうです。

この石段の上に御墓と碑があります。写真はご子孫の方がたもきちんと整備しておられるので、申し訳ないのでここで撮るだけにしておきました。
〇アシャギ ・・・ 山田の古島のアシャギ(神会所みたいなもの、です)。近年建て直したもののようです。近くに地頭火ぬ神の拝所もあったようですが、発見できませんでした。

中には、石神が三体祀られていました。
〇山田城 ・・・ 行き方がわかりません。メーガーの裏の崖を登ったところのようですが、ぐるりと回って尾根側に出ると、「鎖」が張られて「Danger」と書いてあります。アシャギのあたりの山側のようなのですが、そこからは登り道はありません。

Dangerの掛札が。

あちこちにハブ罠があります。この直前、マングースを見かけたので、エサもいるのでしょう。山田城は今後の宿題にしておこうと思います。
〇久良波大主(くらはのうふぬし)の墓 ・・・倒木でたどりつけず。

久良波は山田のすぐ北側、海に面した、山田城の外港です。護佐丸時代には山田城が北山国への防備とともに、久良波での交易の管理も行っていたと思われます。
三山時代の終りころには、護佐丸は読谷山の座喜間城に移ったといわれます。
〇久良波の石矼 ・・・ 山田城から久良波を経て国頭に向かう街道に作られた石橋です。

平成元年に修復されたとのこと。なお近世にはここは村民の浴場となっており、ここで会おうという恋歌が遺されておる。
〇久良波の拝所 ・・・ 国道建設により現在地に移動、とのこと。

左側の建物が拝所です。久良波大主も祀られています。
〇山田ネコ ・・・ 観ネコ記を見よ。
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