縁木求魚(木に縁りて魚を求む)(「双槐歳鈔」)
孟子は間違っていたんです。衝撃。

うわー、おつゆだ! 棺桶によって美女を求めてしまったので祟られることに。出会い系などにしておければよかったのに・・・。
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明代の科学的知識によれば、
鯢魚出峡中、如鮎、四足、長尾、能上樹。
鯢魚は峡中に出で、鮎の如く、四足にして長尾、能く樹に上る。
鯢魚(げいぎょ)という魚をご存じでしょうか。峡谷に棲息し、鮎(なまず)に似ているが四本足でしっぽが長い。木に登ることができる。
「鯢」はサンショウウオだそうです。「魚じゃなくて両生類だぞ、昔のやつはダメだなあ」と言いたい人もいるかも知れませんが、現代でも「ウオ」と言っているんだから魚でしょう。両棲類で陸上にもいるのですから木にも登ることがあるでしょう。
天旱、輒含水上山、茹草葉覆身、張口、俟鳥来飲水、因吸食之。声如小児。
天旱のとき、すなわち水を含んで山に上り、草葉を茹して身を覆い、口を張りて鳥の飲水に来たるを俟ち、因りてこれを吸食す。声は小児の如し。
日照りが続くと、水を口いっぱいに含んで山に上る。草の葉を柔らかくしてその下に隠れ、口を開けて鳥が水を飲みに来るのを待っている。鳥が来ると吸い付いて食べてしまう。声は子どものようである。
将食、先縛之樹、鞭之、出汁如白汗、乃無毒。
まさに食らわんとしては、先ずこれを樹に縛りてこれを鞭うち、汁を出だすこと白汗の如くして、すなわち無毒なり。
サンショウウオを食べようとするときは、まずこれを木に縛りつけ、ムチでぶん殴。すると、白いアブラが出てくるので、そうなれば食べて毒にはならない。
魶魚出四川雅州栄経水及西山渓谷、似鯢有足、亦能縁木、声如児啼、蜀人食之。
魶魚(どうぎょ)は四川雅州栄経水、及び西山渓谷に出だす。また能く木に縁り、声は児の啼くが如く、蜀人これを食らう。
魶魚(どうぎょ)というのは、四川の雅州の栄経川と西山谷の間あたりから産出される。これも木に登れるし、声は子どもの泣き声のようだ。四川のひとびとはこれを食べる。
「魶魚」はやっぱりサンショウウオで、名前が違うのは方言地方名)ではないでしょうか。
このことから、
孟子謂縁木求魚、理所必無也。
孟子の「木に縁りて魚を求む」と謂うは、理の必ずや無きところならん。
孟子が(昨日申し上げたように)「木のところに来て魚を探す(のは見当違いの好例)」というのは、科学的に必ずあり得ないことであろう。
然而物之不可窮者如此、天壌間亦何所不有邪。
然るに物の此くの如く窮むべからざる、天壌の間また何の有らざるところならん。
ともあれ、物理はこのように窮めたと思っても窮めていないものなのである。天と地の間に、いったい絶対に無いもの、がありうるだろうか。
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明・黄瑜「双槐歳鈔」巻八より。せっかく孟子が作って「やったー!」と思っていた「縁木求魚(だからダメだ)」という言い方が間違いであることが発見されてしまいました。科学の進歩はすごいですね。
これからは、地方によって歩数を求める、といえばいいのでは。
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