心斎五福(心斎の五福)(「幽夢影」)
みんな宴会の間はシアワセだったことでしょう。

また会いましょう・・・
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「幽夢影」を書いた心斎先生・張潮の五福(五つのシアワセ)とは?
有工夫読書、謂之福。
工夫有りて読書す、これを福と謂う。
いろいろ考えながら書を読んだ。これはシアワセといえる。
有力量済人、謂之福。
力量有りて人を済(すく)う、これを福と謂う。
自分に力があって他人を助けることができた。これはシアワセといえる。
有学問著述、謂之福。
学問有りて著述す、これを福と謂う。
学問が進んで本を書いた。これはシアワセといえる。
無是非到耳、謂之福。
是非の耳に到る無し、これを福と謂う。
正しいとか間違っているとかの自分の評判を聞かない。これはシアワセといえる。
有多聞、直、諒之友、謂之福。
多聞、直、諒の友有り、これを福と謂う。
いろんなことを聴いて知っているやつ、正直なやつ、誠実なやつ、三種類の友がいる。これはシアワセといえる。
「諒」(りょう)は「寛恕」「ゆるす」の意と「誠実」の意があって、どちらの意味も含めているのかも知れません。「寛恕」の意味にとって「わかってくれる友」とするのもかっこいいのですが、ここは朱子の説に沿って「誠実」に取ってみました。
ただしこのコトバは、「論語」季氏編の
孔子曰、益者三友、損者三友。
孔子曰く、益者に三友、損者に三友あり。
孔先生がおっしゃった、「いいことのある友が三種類、損させられる友が三種類あるんじゃよ」。
友直、友諒、友多聞。益矣。
直を友とし、諒を友とし、多聞を友とす。益なり。
正直なやつを友にし、誠実なやつを友にし、博学なやつを友にする。みんないいことあるぞ。
友便辟、友善柔、友便佞。損矣。
便辟を友とし、善柔を友とし、便佞を友とす。損なり。
コトバがうまくて正直でないやつを友とし、ぐにゃぐにゃして誠実でないやつを友とし、ゴマカシがうまくて何も知らないやつを友とするのは、損をするぞ。
のうちの益者三友を踏まえるというか、そのままですね。
みなさんはどう思いますか。今日のやつらには益者の何かはいるかも知れませんが、損者になれるぐらい知恵のあるやつはいませんでしたな。
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清・張潮「幽夢影」第95則。別に回答は要らなかったのですが、友人たちの「評言」が付きました。
殷日戒:我本薄福人、宜行求福事、在随時儆醒而已。
我もとより薄福の人、よろしく福事を行求するに、随時に在りて儆醒せんのみ。
わたしは本質的に幸福に遠い人間なので、(ここに挙げられた)シアワセなことを求める行動に当たっては、あらゆるところでマジメに集中してやりたいと思います。
楊聖藻:在我者可必、在人者不能必。
我に在るものは必ずすべく、人に在るものは必ずしもする能わず。
自分でできることは必ずやります。他者の方がしてくれるかどうか、ということは必ずやることはできませんが。
王丹麓:備此福者、惟我心斎。
この福を備うる者は、我が心斎のみ。
この五つのシアワセを兼ね備えているのは、われらが心斎先生、あんたしかおりません。
李水樵:五福駢進固佳、苟得其半者、亦不得謂之無福。
五福駢(あわ)せ進むは固より佳、いやしくもその半者を得ば、またこれを福無しとは謂い得ず。
五つのシアワセはすべてが手に入ればもちろんすばらしいのだが、その半分が手に入れば、シアワセが無いとはもう言えません(。シアワセと言えましょう)。
倪永清:直、諒之友、富貴之人久拒之矣。何心斎反求之地也。
直、諒の友は、富貴の人久しくこれを拒む。何ぞ心斎反ってこれを求むる地なるや。
正直ものとか誠実な友人は、富貴の人からはずいぶん以前からお断りにされているはず。心斎先生は(富貴なのに)なぜ逆にこいつらを求めようというのか。
みなさんは如何ですか。
岡本全勝さんが苦しんでいるようです。わはは。いい気味だ。
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