古多此賢(いにしえにこの賢多し)(「陶淵明集」)
寒くて腹が減ってきてはどうすればいいのか。

しりこだま寄こせば助けてやるでカッパ。
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昨日の続きです。
詩書塞座外、日昃不遑研。
詩書、座外を塞(うず)め、日昃(かたむ)くも研(きわ)むるに遑(いとま)あらず。
坐っている周りには詩や文章をうずたかく積み上げているが、日が傾いてきてもなかなか研究は進まない。
間居非陳阨、竊有慍見言。
間居して陳の阨には非ざれども、竊(ひそ)かに慍(いきどお)りの言有り。
ひまにしているので、孔子さまが遭われた陳蔡の阨のようなことではないのだが、それでもひとり、いきどおりのコトバを吐いたりする。
「論語」衛霊公編にいう、
在陳絶糧。従者病、莫能興。
陳に在りて糧を絶つ。従う者病し、能く興る莫(な)し。
孔子が陳と蔡の間の野(郊外)で包囲されて食べ物も無くなってしまったことがあった。つき従っていた弟子たちは栄養失調でふらふらし、立ち上がることもできなかった。
子路慍見。
子路慍(いか)りて見(まみ)ゆ。
高弟の子路がいきどおって孔子に面談した。
君子亦有窮乎。
君子もまた窮する有るか。
「君子でもこのように苦しむことがあるのですか」
天が味方してくれるものではないのですか。
子曰、君子固窮。小人窮斯濫矣。
子曰く、君子もとより窮す。小人は窮すればすなわち濫る、と。
孔子はおっしゃった。
「君子にも苦しむことがあるのは当たり前だ。だが、小人どもは苦しくなると取り乱すのだ」
君子は取り乱さないのだ。おまえは、どっちだ?
かっこいいですね。「論語」はこれだからしびれるぜ。
何以慰吾懐、頼古多此賢。
何を以て吾が懐(おも)いを慰むるや、いにしえよりこの賢の多きに頼らん。
(そのように腹が減ったと不満を言うわしの心を)どうやって慰めようか。いにしえより同様に(行いを慎み学問をしながら)腹を減らしていた賢者たちが多くいたこと(例えば上記の孔子一行)を思えばいいのではなかろうか。
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宋・陶淵明「詠貧士」二の後半です。わたしども賢者は貧乏が原則ですから、がまんするしかないのです。
わたくしどもいにしえの賢者よりパートさんや非正規の人たちをちゃんと扱え、とは思う一方、ドイツはドイツで誰かが困っているのではないかと思ってしまうのですが、誰だかわかりません。
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