詰而杖之(詰してこれを杖す)(「後山談叢」)
叱られてばかりですわー。

あまり暑く無くてしりこだまが集まらなかったでカッパ。
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宋のころのことです。
徐州の町の北部に住んでいた張なんとかという知識人は、
家世奉道、自謂当為左玄真人、遂以為称。
家世道を奉じ、自らまさに左玄真人たるべしと謂い、遂に以て称と為す。
代々道教を信仰していた。彼の代に至って、「自分は(天界で)左玄真人の位に就くことになっているのだ」と言い出し、とうとう(現世でも)そのように呼んでもらうようにした。
さらに、
為朝元図、絵其像於位。
朝元図を為(つく)り、その像を位に絵(えが)く。
天界を描いた「朝元図」を作り、その中に「左玄真人」を位置づけて、自分の画像をそこに描かせた。
ところがある朝、
臀流血如当杖。
臀、流血すること杖せらるるが如し。
しりから、杖で殴られたように血を流していた。
なんだかたいへん憂鬱そうで、訊くと、
夢為城隍神所逮、詰而杖之。
夢に城隍神の逮(およ)ぶところと為り、詰してこれに杖す。
昨晩の夢の中に、町の守護である城隍神が現れて、逮捕されて、どういう理由があって真人と名乗っているのか、尋問され(、勝手に名乗ってはいかんと)杖で殴られる刑罰を受けた。
とのことであった。
それからは「朝元図」を処分し、ふつうに「張生」と呼ばれるようになったということである。
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宋・陳師道「後山談叢」巻六より。ふつう夢でよかった、現実ではおれはやっぱりえらいんだ、と思うのではないかと思うのですが、この人はそんな夢を見たからといって自称を捨ててしまった、というのです。なんと非近代的なことではありませんか。
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