後世做牛(後世、牛と做(な)る)(「黙記」)

将来的にも大事にしてもらいたいものですね。この国ではもうムリかな。

今日は敬老の日でポンポコ。15日は「老人の日」だそうでポコ。年をとって「老害」「自己責任」と批判されても、おれのように強く生きることじゃなポン。八重洲口の再開発も見とどけたいものでポン。

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北宋の時代のことですが、うちのおやじの言うことには、元豊年間(1078~86)の終りごろ、荊公・王安石は金陵(南京)に帰郷して、蒋山の山荘に住んでいた。

跨驢出入、時正盛暑、而提刑李茂直往候見、即於道左遇之。

「おお」

荊公捨蹇相就、与茂直坐路次。

「蹇」(けん)は「あしなえ」を言いますが、それを「捨てる」というのは何のことかわかりません。あまり使われないようですが、「蹇」が「おろかなウマ、ひと」を表わすことがあるようなので、愚かなウマ(ここではロバ)のことだと解しておきます。

荊公以兀子、而茂直坐胡牀也。語甚久、日転西矣。

もちろん、二人ともおつきはいたはずで、おつきが椅子を出したのでしょう。

茂直張令傘、而日光正漏在荊公身上、茂直語左右、令移傘就相公。

荊公の方のおつきは傘までは持っていなかったのでしょう。
王安石は言った、

不須。若使後世做牛、須着与他日裏耕田。

と。王安石が質素だったこと、その仏教的な世界観、誰もが感心する機知、などを表現したお話なんだと思います。それにしても、やはり現役の人は強いですね。おつきの人は元宰相より現役の役人に日傘をさしかけるのです。若いもんには負けないつもりでも現役には勝てますまい。

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宋・王銍「黙記」巻中より。王安石はごはん食べてすぐ寝たりして、いつもおふくろから「牛になるぞ」と言われていた・・・のかも知れません。

以上に関係ない雑談なんですが、愛知アジア大会の運営についてのSNSなど見ると、もう「衰退途上国」そのものです。次々起こっている大失敗、知事も申し訳ないと言っているのに、なぜ大メディアが取り上げないのか、不思議な気もします・・・が、終わるまでは特約があるのかな。

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