後世做牛(後世、牛と做(な)る)(「黙記」)
将来的にも大事にしてもらいたいものですね。この国ではもうムリかな。

今日は敬老の日でポンポコ。15日は「老人の日」だそうでポコ。年をとって「老害」「自己責任」と批判されても、おれのように強く生きることじゃなポン。八重洲口の再開発も見とどけたいものでポン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
北宋の時代のことですが、うちのおやじの言うことには、元豊年間(1078~86)の終りごろ、荊公・王安石は金陵(南京)に帰郷して、蒋山の山荘に住んでいた。
跨驢出入、時正盛暑、而提刑李茂直往候見、即於道左遇之。
驢に跨りて出入するに、時にまさに盛暑、提刑・李茂直、往きて候い見るに、即ち道左にこれ遇う。
公は、当時、よくロバに乘って出入りしておられた。ちょうど真夏の暑い盛りのこと、路の提点刑獄(裁判や刑罰について州県の官吏の判断を監視する役人。高等検察庁長官みたいな職でしょうか。たいへんな高等官には違いないですが、宰相よりは下です)であった李茂直が季節のあいさつに行ったところ、道端で王安石に出くわした。
「おお」
荊公捨蹇相就、与茂直坐路次。
荊公、蹇を捨てて相就き、茂直と路次に坐す。
「蹇」(けん)は「あしなえ」を言いますが、それを「捨てる」というのは何のことかわかりません。あまり使われないようですが、「蹇」が「おろかなウマ、ひと」を表わすことがあるようなので、愚かなウマ(ここではロバ)のことだと解しておきます。
荊公さまはロバから飛び降りて面会され、道端で茂直さまと座り込んでしまわれた。
荊公以兀子、而茂直坐胡牀也。語甚久、日転西矣。
荊公、兀子を以てし、茂直は胡牀に坐せり。語甚だ久しく、日西に転ず。
荊公さまは携帯用のいす(ゲタのようなもの)を使い、茂直は折り畳みの椅子(北方風椅子)にお座りになっていた。ずいぶん長く話し込んでしまい、正午を過ぎて太陽が西に移動した。
もちろん、二人ともおつきはいたはずで、おつきが椅子を出したのでしょう。
茂直張令傘、而日光正漏在荊公身上、茂直語左右、令移傘就相公。
茂直、張りて傘せしむるに、日光正しく荊公身上に漏在し、茂直左右に語りて、傘を移して相公に就かせしむ。
茂直はおつきに命じて日傘を広げさせた。日光はこの時間帯、荊公さまに正面から当たるような方向だったので、茂直はおつきの者に、日傘を移動させて大臣さまを日陰にせよ、と命じた。
荊公の方のおつきは傘までは持っていなかったのでしょう。
王安石は言った、
不須。若使後世做牛、須着与他日裏耕田。
須(もち)いず。もし後世をして牛と做(な)らしめば、他日裏の耕田に着し与えうべし。
「要らん。それより、わしはウシに生まれ変わるかも知れんので、その時、田を耕す作業の際に着けてくれんか」
と。王安石が質素だったこと、その仏教的な世界観、誰もが感心する機知、などを表現したお話なんだと思います。それにしても、やはり現役の人は強いですね。おつきの人は元宰相より現役の役人に日傘をさしかけるのです。若いもんには負けないつもりでも現役には勝てますまい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宋・王銍「黙記」巻中より。王安石はごはん食べてすぐ寝たりして、いつもおふくろから「牛になるぞ」と言われていた・・・のかも知れません。
以上に関係ない雑談なんですが、愛知アジア大会の運営についてのSNSなど見ると、もう「衰退途上国」そのものです。次々起こっている大失敗、知事も申し訳ないと言っているのに、なぜ大メディアが取り上げないのか、不思議な気もします・・・が、終わるまでは特約があるのかな。
コメントを残す