孤雲独無依(孤雲、独り依る無し)(「陶淵明集」)
休みが続いていたら体重が一キロ半減りました。やっぱり会社でストレスのために間食等をしているのがいけなかったことが判明。やっぱり組織に依存せず一人で生きている方がよさそうです。

このカンガルー一筆書きみたいでセンスいいね。誰が書いたの? え、肝冷庵先生が! なんと立派な君子ではないかね・・・という知音はあまりいません。
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万族各有託、孤雲独無依。
万族おのおの託する有るに、孤雲のみ独り依る無し。
あらゆるものにはそれぞれ頼むところがあるものだが、
あの一つだけ浮かんでいる雲は、どこにも頼るものがない。
曖曖空中滅、何時見余暈。
曖曖(あいあい)として空中に滅し、いずれの時に余暈(ようん)に見(あ)わんや。
「曖曖」は薄暗い様子のオノマトペ。
ぼんやりとして空中で消えてしまい、太陽の残照に照らされる時が来ようとも思われぬ。
以上、孤雲が貧士(貧乏さむらい)の比喩です。太陽に照らされることもないであろう。つまり、君主に見いだされて出世することはない。
朝霞開宿霧、衆鳥相与飛。
朝霞(ちょうか)は宿霧を開き、衆鳥は相ともに飛ぶ。
この「霞」は日本訓の「かすみ」ではありません。「朝焼け・夕焼け」の「焼け」の部分です。
朝やけの中、昨夜からの霧が開けていくと、鳥たちがともにさえずりながら飛びはじめる。
遅遅出林翮、未夕復来帰。
遅遅(ちち)として林を出ずるの翮(つばさ)は、いまだ夕べならざるもまた来帰せん。
ゆっくりと林を出てゆく鳥たちは、夕方までにはまた戻ってくることであろう。
鳥も孤独なやつはおらへんで。それなのに、
量力守故轍、豈不寒与飢。
力を量りて故轍を守り、あに寒さと飢えならざらんや。
この人は(人付き合いにおける)自分の力量を見切って、孤独という以前からの生活を変えようとはしない。どうして寒さや飢えから解放されていることがありえようか。
知音苟不存、已矣何所悲。
知音かりそめにも存せず、已んぬるかな、何の悲しむところぞ。
「知音」は、春秋の時代、伯牙が琴を弾くと、鍾子期がそれを聞いて、「ああ山を思ったのだな」「今度は川を思ったのだな」と言い当てた。鍾子期が死ぬと、伯牙は自分の音楽を知るひとはもういないと言って、琴を弾ずるのを止めた(「呂氏春秋」)という有名なやつです。
そいつのことを理解しているひとはどこにもいない。
もうどうしようもないのだ。何を悲しむことがあろうか。
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六朝宋・陶淵明「詠貧士」(貧士を詠む)連作七首のうち第一首。「貧士を詠む」と言ってますが、実は自分のことです。とうことは、同じく隠者である肝冷庵にも似ているはず。
これから年末にかけて七首をご紹介し、だんだん貧しくなっていこうと思います。インフレに苦しむひとは頷きながら読んでくだされや。
岡本全勝さんに復帰しつつあることが知られてしまったようです。情報早いですね。
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