孰有之哉(たれかこれを有するや)(「荘子」)
わたくしの力でございません。では一体だれの力であろうか。

生きるということ自体が、天地というウマに運ばれているだけなのだ。ところで今日はバスの日です。
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舜問乎丞。
舜、丞に問えり。
超古代の聖なる帝・舜がその丞に訊ねた。
「丞」(じょう)は帝王の補佐者の一人です。下記(一番下)を参照せよ。
道可得而有乎。
道は得て有(たも)つべきか。
「道(タオ)は会得して、保有することができるものだろうか(。そうするにはどうすればいいのかな)」
丞は答えた、
汝身非汝有也。汝何得有夫道。
汝の身も汝の有に非ざるなり。汝なんぞ夫(か)の道を有つを得んや。
「ほっほっほ。おまえさまの肉体だって、おまえさまのものではないのでございますぞ。おまえさまがどうしてあの「タオ」を保有することができますのじゃな?」
「むむむ」
舜は言った、
吾身非吾有也、孰有之哉。
吾が身は吾が有に非ざるや、孰(た)れかこれを有するや。
「わしの肉体もわしのものではないとすると、いったい誰のものなのじゃ?」
是、天地之委形也。生、非汝有、是、天地之委和也。性命非汝有、是、天地之委順也。
これ、天地の委形なり。生も汝の有に非ず、これ、天地の委和なり。性命も汝の有に非ず、これ、天地の委順なり。
「それは、天と地から預かった形じゃよ。生命もおまえさまのものではなく、天と地から預かってそれに和んでいるだけじゃ。性質や宿命もおまえさまのものではなく、天と地から預かってそれに従順にしているだけなのじゃ」
概念にあまりこだわってはいけません。全部天地が預かっているだけだ、ということが言いたい、と考えてください。
孫子非汝有、是天地之委蛻也。
孫子も汝の有に非ず、これ天地の委蛻(いだつ)なり。
「おまえさまの子孫もおまえさまのものではない、天と地から預かった、ぬけがらみたいなものじゃ」
「なんと!そうだったのか」
故行不知所往、処不知所持、食不知所味。
故に行くも往くところを知らず、処るも持するところを知らず、食らうも味わうところを知らざるなり。
「ですから、人間はどこかに行くのですがどこに行っているかわからないんじゃ。止まっているときも、何をしているのかわからないんじゃ。何かを食っても味などわかっていない。
天地之彊陽気也、又胡可得而有耶。
天地の彊陽気や、またなんぞ得て有つべけんや。
「彊」は「強」の本字です。
食べ物には天と地の強い陽なる気が入っているのじゃが、それもおまえさまが手に入れて、いつまでも保有していられるものではありませんぞ」
以上です。
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「荘子」知北游篇より。よく食べるくせに何を食べても味の分からないやつとよく言われます。ソースと塩と醤油と味噌と、あとカレーの味ぐらいしかわからないんです。でもみなさんもほんとは分かってないんですよね。
「丞」(じょう)について。「礼記」文王世子篇によれば、周公が甥っ子で武王の跡継ぎである成王に、成王の祖父である文王が世子(諸侯の跡継ぎ)であったころにどんな勉強をしていたかぶうぶう教えたというお話があるのですが、その解説の中に「四輔」というのが出てきます。
記曰虞夏商周、有師保、有疑丞、設四輔及三公。不必備、唯其人。
記に曰く、虞夏商周には師・保有り、疑・丞有りて、四輔及び三公を設く。必ずしも備えず、ただその人のみ。
昔のメモにこうあるんじゃ。
虞(舜の時代)、夏、商、周の時代には、君主には、宮廷の外の政治・戦争を教え導く「師」、宮廷の中で人間として教育を行い、保護してくれる「保」、間違い無いように前導してくれる「疑」、後ろにいて質問に答える「丞」がいた。この四者を「四輔」といい、司馬(軍事)、司空(農業)、太宰(その他)の三公とともに、君主を支えていたのである。これらの職はつねに任命されているわけではない。それにふさわしい人がいたときのみ任命される定めであった。
ほかにも「四輔」とは「左輔・右弼・前疑・後丞」という説もあって、この前二者は後に「輔弼」とまとめられて、ついに帝国憲法にも取り入れられるのですが、閑話休題。
みなさま(実は一人ですが)のお助けによりまたスマホの制約から外れて更新できるようになったのでございます。まずは感謝いたします。そして、みなさんも助けてくれる人(右弼とか)を大事にするといいと思います。大臣もするといいのですが。
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