大風徙廬(大風、廬を徙す)(「籜廊琑記」)
困りますよね。

刺されたひといますか。
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清の嘉慶年間(1796~1820)のこと、河南・蘭儀の郷民・某は、
住居茅廬一間。
茅廬一間に住居す。
かやぶきで一部屋しかない粗末な庵に住んでいた。
暁起、煮粥満釜、息坐縄床、尚未就食。
暁起して粥を満釜に煮、縄床に息坐して、なおいまだ食に就かず。
縄床というのは、縄を張って作った椅子です。なんでそんなものに座っているかというと、椅子が買えないからです。
ふつうのごはんでなくお粥を炊いているのも、貧乏だからです。
夜明けとともに起き出して、お釜いっぱいのお粥を炊いた。作り終えて、縄製の椅子に休んで、さてこれからメシを食おう・・・とした。
その時、
大風忽至、掲廬、与床、与人、与釜置半空中、御風而行。
大風たちまち至り、廬と床と人と釜と、を掲げて半空中に置き、風を御して行く。
強い風が突然吹いてきたかと思うと、廬も椅子も某本人も釜も、すべて、空中に持ち上げられ、風に乗って移動したのである。
遠徙四十里、風頭已竄、余威漸歇、諸物冉冉以次堕地。
遠く四十里を徙し、風頭既に竄(かく)れ、余威漸くに歇きて、諸物冉冉(ぜんぜん)と次を以て地に堕つ。
遠く23~24キロぐらい移動したあたりで、風の先端が無くなってしまい、残っていた力もようやく尽きて、もろもろの物はだんだんと事件に落ちてきた。
清代の一里≒575メートルで計算してみました。
廬茅不飛、床無傾踣、釜無満溢、人安然坐床無恙。
廬茅飛ばず、床傾踣する無く、釜は満ちて溢るる無く、人は安然として床に坐して恙(つつが)無し。
庵の屋根の茅はそのまま、椅子は傾いたり倒れたりせず、釜のお粥は溢れ出すこと無く、その人は安らかに椅子に座ったままで何の問題も無かったのである。
お粥がこぼれて無くなっていたらどうしようかと思いましたが、こぼれてなくてよかった。
真異聞也。道光壬辰余過其地、居民為余言。
真に異聞なり。道光壬辰、余その地を過ぎるに、居民余のために言う。
ほんとうに不思議な話である。道光壬辰年(1832)、わたしはその地を通ることがあった。その際、地元民がわたしに放してくれたことである。
その人がどうやって戻ったのか、気になりますよね。なりませんか。ゴミと一緒に庵を棄ててしまうか、あるいはもう戻らずにそちらで生活してしまう方法もあります。いずれにしろ肝冷庵型の一所不住タイプのひとだったのでしょう。
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清・王守毅「籜廊琑記」巻七より。もういっぺんやってみろと言われてもできません。現代ならできるでしょうか。AIとかドローンとかCGとか使えばできるかも?と思ったけど、やっぱり無理でしょう。そこに座っている人は、某から肝冷庵へと変わっているかも知れませんが、やっぱり時代はあまり進んでいないのではなかろうか。年年歳歳花相似たるもひと同じからず、ですじゃ。わしは実年齢より五歳以上年上なんじゃ。
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