人生無根蒂(人生に根蒂無し)(「陶淵明集」)
遊んで暮らしたいのになぜ仕事があるのか。

どうせなら資本家にちゅうちゅうひっつきたいでヒル。不労所得は美味かろうでヒル。
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六朝の宋の時代のことですが、
人生無根蒂、飄如陌上塵。
人生に根蒂無く、飄として陌上の塵の如し。
人間の生には根っこというもの無い。飛ばされて行くこと、道路の塵ほこりのようである。
分散逐風転、此已非常身。
分散して風を逐いて転ず、これすでに常身に非ざるなり。
ばらばらになって風に吹かれてどこかに行くのだ。これだけでもすでに長くこの世にとどまっていられないことがわかるであろう。
しかしながら、
落地為兄弟、何必骨肉親。
地の落つれば兄弟たり、何ぞ必ずしも骨肉の親ならんや。
(塵ほこりが)また地面に落ちてきたら、われわれはみな兄弟のようなもの、必ずしも肉親だけが親密である必要はないのである。
得歓当作楽、斗酒聚比隣。
歓を得てはまさに楽しみを作すべく、斗酒あれば比隣を聚めん。
いいことがあったら、楽しくしようではありませんか。一斗の酒があれば、隣近所を集めて宴会だ。
当時の一斗は約2リットル。いまだと18リットルですから、十分の一ぐらいです。2リットルぐらいみんなで飲んだらすぐ無くなるような気もします。しかも当時は醸造能力が低いので、お酒の度数は一般に低かったと思われる。
盛年不重来、一日難再晨。
及時当勉励、歳月不待人。
盛年は重ねて来たらず、一日は再び晨(あした)なり難し。
時に及んではまさに勉励すべし、歳月は人を待たず。
盛んな青壮年の時代はもう二度と来ないのだ。一日がもう一度朝になるなんてことはないのだ。
その時になったら無理にでも楽しむべし。時間はあなたが準備できるのを待っていてはくれない。
この最後の四行、「もっと勉強するのだ、努力するのだ」という文脈で聴かされたことがあるのでは。原作者の意図はまったく逆ですので、大人は騙されてはなりませんぞ。
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六朝宋・陶淵明「雑詩其一」。明日えらいさんについていかないといけないんです。もうこんな緊張感ムリですわー。もう盛年など来ないのだから、楽してどこかに行ってしまいたいものだ。・・・と、千七百年前の人と同じ気持ちになっています。もしかしたら、時代など進んでいないのでは?
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