人所不能(人の能わざるところ)(「宋稗類鈔」)
毎日毎日焦るのに、なぜか何もはかどらないんです。どうせはかどらないなら焦らなければいいのではないか、と思うのですが、そうも言ってられません。ああー、どうすればいいのだ!

シゴトのできないやつはエジキにしてやるでカッパ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
むかし、北宋の張知常が太学に入った時、
家以金千両附致于公。
家、金千両を以て公に附致す。
実家は、金千両を知常に渡した。
金千両がいくらぐらいかなかなか換算しずらいので、とりあえず千万円にしときます。いずれにしろ豊かな地主階級出身だったことがわかります。
なお、知常が後にえらくなるので、文中では「公」と呼ばれていますが、その時点では一学生なので「だんな」とか「先生」とか訳すわけにいかんので、訳は「知常」という名前で統一します。
同舎生因公之出、発篋而取之。
同舎生、公の出ずるに因り、篋を発してこれを取る。
同じ宿舎の学生が、知常の外出の間に、箱を開いて金を盗んだ。
知常から被害の届があったので、
学官集同舎検索、因得其金。公不認、曰非吾金也。
学官、同舎を集めて検索し、因りてその金を得。公、認めず、曰く「吾が金に非ざるなり」と。
学舎の管理官が宿舎内の学生たちを集めて部屋を検査し、盗まれたと思われる金を発見した。だが、知常は「それはわたしのものではありません」と否認した。
近代みたいな紙幣や貨幣になっているわけではないので、金千両を金塊や粒などいろんな形で持っていた。それで「それは違います」という言い方がありえたわけである。・・・現代ならデジタルで持っているんですかね。
それでうやむやになった。
同舎生至夜、袖以還公。公知其貧、以半遣之。
同舎生、夜に至りて袖して以て公に還す。公その貧を知り、半を以てこれに遣る。
(盗んだ)同じ宿舎の学生が夜中にそっと知常の部屋にやってきて、袖に隠して金を知常に返しにきた。知常はそいつが貧乏なのを知って、半分を受け取って残り半分をそいつに与えた。
服の破れているところをガムテープで止めたり、服に新聞紙を入れて暖かくしていたのでしょう。肝冷庵には身につまされます。
さて、
前輩謂。
前輩謂う。
年長のひとたちに教えられたものである。
公遣人以金、人所能也。倉卒得金而不認、人所不能也。
公の人に金を以て遣るは、人の能くするところなり。倉卒金を得て認めざるは、人の能わざるところなり。
もうえらくなった後ですので、「公」は「張先生」と訳します。
貧しい学生にお金を遣ったのは、まだしも他の人にもできることだ。だが、先にお金が発見されたときに、自分のものではないと言ったのは、他の人にできることではない。
そこで認めてしまわないことでよりよい方に転ぶはず、という考えの深さ、人間性への信頼など、どうやって学べばいいのかわからないような「能力」である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
清・潘永因「宋稗類鈔」巻三「厚徳」篇より。張知常は当時はすぐれていたかも知れませんが、もちろん現代の人の方がすぐれているんですよ。嗚呼、「今だけ、カネだけ、自分だけ」の大原理。現代人以外の一体誰にできたことでありましょうか。
それにしてもこの仕事の進まない中でも、こうやってみなさんの頭上に一針を加える、これはなかなか他の人のできるところではありません。いや大したものじゃ。灌漑用水のようなものでは。
コメントを残す