人所不能(人の能わざるところ)(「宋稗類鈔」)

毎日毎日焦るのに、なぜか何もはかどらないんです。どうせはかどらないなら焦らなければいいのではないか、と思うのですが、そうも言ってられません。ああー、どうすればいいのだ!

シゴトのできないやつはエジキにしてやるでカッパ。

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むかし、北宋の張知常が太学に入った時、

家以金千両附致于公。

金千両がいくらぐらいかなかなか換算しずらいので、とりあえず千万円にしときます。いずれにしろ豊かな地主階級出身だったことがわかります。
なお、知常が後にえらくなるので、文中では「公」と呼ばれていますが、その時点では一学生なので「だんな」とか「先生」とか訳すわけにいかんので、訳は「知常」という名前で統一します。

同舎生因公之出、発篋而取之。

知常から被害の届があったので、

学官集同舎検索、因得其金。公不認、曰非吾金也。

近代みたいな紙幣や貨幣になっているわけではないので、金千両を金塊や粒などいろんな形で持っていた。それで「それは違います」という言い方がありえたわけである。・・・現代ならデジタルで持っているんですかね。

それでうやむやになった。

同舎生至夜、袖以還公。公知其貧、以半遣之。

服の破れているところをガムテープで止めたり、服に新聞紙を入れて暖かくしていたのでしょう。肝冷庵には身につまされます。

さて、

前輩謂。

公遣人以金、人所能也。倉卒得金而不認、人所不能也。

もうえらくなった後ですので、「公」は「張先生」と訳します。

そこで認めてしまわないことでよりよい方に転ぶはず、という考えの深さ、人間性への信頼など、どうやって学べばいいのかわからないような「能力」である。

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清・潘永因「宋稗類鈔」巻三「厚徳」篇より。張知常は当時はすぐれていたかも知れませんが、もちろん現代の人の方がすぐれているんですよ。嗚呼、「今だけ、カネだけ、自分だけ」の大原理。現代人以外の一体誰にできたことでありましょうか。

それにしてもこの仕事の進まない中でも、こうやってみなさんの頭上に一針を加える、これはなかなか他の人のできるところではありません。いや大したものじゃ。灌漑用水のようなものでは。

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