可笑也已(笑うべきなるのみ)(「双槐歳鈔」)
言ってみるだけなら損しないというので「過ごしやすくなってきた」とあちこちで言うことにしました。笑われるべきことかも知れません。

ほんとは暑い。
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明の正統元年(1436)の春は、各地で蝗が発生した。
三月、有制分命大臣捕之。工部右侍郎邵旻往保定。
三月、制有りて大臣に分命してこれを捕えしむ。工部右侍郎・邵旻、保定に往く。
三月には、皇帝から命令が出て、中央の大臣(高級官僚)たちはそれぞれ命令を奉じてイナゴを捕まえに各地に赴くこととなった。工部の右侍郎(次官)であった邵旻(しょう・びん)は、河北・保定の地に赴いた。
高級官僚だからイナゴを捕るのも上手いのでしょう。
ところで、
至府西北四十五里為満城県、県之南門有先聖大王祠。父老言往歳遇蝗、祷之立応。
府の西北四十五里に至るを満城県と為すに、県の南門に先聖大王の祠有り。父老言う、往歳蝗に遇うに、これに祷るに立ちどころに応あり、と。
保定の郡庁所在地の西北四十五里(一里≒600メートルで計算すると、うーんと、うーんと、27キロぐらいでしょうか)のところに満城県の県庁があったが、この県の南の門に先聖大王さまの祠があった。地元民の長老たちに聴いてみると、以前イナゴの害があったときに、この神さまに御祈りしたところ、立ちどころに効果が表れたという。
時天久不雨、蝗生遍野、捕之愈盛。
時に天久しく雨ふらず、蝗遍野に生じ、これを捕らうもますます盛んなり。
この時、天候は長くもう雨が降っておらず、イナゴは原野にあまねく広がり、これを捕らえても捕えても、ますます増えてくる状況であった。
「迷信かも知れんが、やってみるかのう」
旻乃如父老言、帥郡県吏齋沐祷于祠下。旬月間蝗果殄息。乃勒石以章神功。
旻すなわち父老の言の如く、郡県の吏を帥いて祠下にて沐祷す。旬月の間、蝗果たして殄息す。すなわち石に勒して以て神功を章らかにせり。
邵旻はダメでもともとで長老たちの意見に従い、郡と県の地方官を率いて、物忌みし、風呂に入って、祠の下でお祈りした。
すると・・・
十日、三十日経つうちにイナゴは果たして全滅して終息した。そこで、石に刻んで大王の功績を表彰した。
ところでこの神さまは、
姓項氏名託、周末魯人、年八歳、孔子見而奇之。
姓・項氏にして名は託、周末の魯の人、年八歳にして孔子見てこれを奇とせり。
姓は項、名は託、周の末ごろの魯の国のひとだ。八歳の時に孔子と出会い、孔子は彼をみて「すごいひとじゃ」と言った。
十歳而亡、時人尸而祝之、号小児神。
十歳にして亡ぶ、時人尸してこれを祝し、「小児神」と号す。
十歳で死んでしまったので、そのころの人は魂を降ろしてお祀りし、「子ども神さま」と称した。
「史記」甘羅伝に、
項橐七歳為孔子師者、此也。第土人誤謂記耳。
項橐(こう・たく)七歳にして孔子の師匠なり、というは此れなり。ただ土人誤ちて謂うを記するのみならん。
「項橐(こう・たく)は七歳にして孔子の先生になった」と言われるのは、この人のことである。ただし、地元民たちが口頭で「託」と言うのを、「橐」と記録しただけであろう。
間違いは誰にでもあるので、それはよいのですが、
旻以大臣精誠、不能格天、而小児祆鬼是祷、亦可笑也已。
旻は大臣の精誠を以て、天に格(いた)る能わずして小児祆鬼これ祷す、また笑うべきなるのみ。
邵旻は中央の高級官僚でしかも精神力もあり誠実なひとであったはず。しかし、(雨を降らさないという)天の悪徳を正すこともできず、子どもの怪しい精霊に頼って祈祷したのである。また笑うべきことでしかない。
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明・黄瑜「双槐歳鈔」巻六より。大臣が子ども拝んでいるとは。インフラ壊れても直せないかも。
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