無与吾事(吾が事に与かる無かれ)(「宋稗類鈔」)
都内某所で中華食ってきました。わずかなビールで電車の中でぶうぶうと寝ました。そんな時にはどうぞわたしのことに構わないでくだされ、と言いたいものですが、寄りかかった隣の人に押し返され、「すんませんすんません」と言ってまた眠る。

すぐれた者こそ争いに巻き込まれて完成しないであろう・・・と思ったりしませんか。
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北宋のころ、浙江・松江に漁師のおじさん(「漁父」)がおったんじゃ。
毎棹小舟、往来長橋、扣舷飲酒、酣歌自若。
毎(つね)に小舟に棹し、長橋を往来して、舷を扣きては飲酒し、酣歌して自若す。
いつも小さな舟に棹さして、橋の下を行き来し、(興がのれば)ふなべりを叩いて酒を飲み、いい気になって歌い、たいへん満足な様子であった。
紹聖年間(1094~98)、福建のひと播裕が都・開封から赴任途中にこの地を通り、そのひとのウワサを聞いて、
因就与語、且曰先生澡身浴徳。今聖明在上、蓋出而仕。
因りて就きてともに語り、かつ曰く、「先生身を澡(あら)い徳に浴す。今、聖明上に在り、なんぞ出でて仕えざる」と。
わざわざ会って一緒に話し合い、(その人柄や識見に感じ入って、)やがて言った、
「先生はこの流れに体を清め、心を浸しておられる。現在、すぐれた天子(当時は哲宗皇帝)が治めておられるのですから、世に出て仕官されれば如何ですか」
「うひゃひゃ」
父笑曰、君子之道、或出或処。吾雖不能棲隠岩穴、追園綺之踪、竊慕老氏曲全之義。
父、笑いて曰く、「君子の道は、あるいは出であるいは処(お)る。吾、岩穴に棲隠する能わずといえども、園・綺の踪(あと)を追い、ひそかに老氏の曲全の義を慕えり。
漁師のおやじは笑って言った、
「立派な人間の生き方は、あるいひとは出仕し、あるひとは隠棲する(、どちらの方法もある)。わしは、巌窟に隠れ暮らすことはできていないが、東園公・綺里季の行動を追いかけ、そっと老子の「曲がって全うする」人生がいいと思っているのじゃ」
漢の初めごろ、商山に四人の隠者がいた。みな白(皓)い髪・眉の老人だというので「商山四皓」と言われ尊崇されていた。そのうちの二人が東園公と綺里季(きりき)です。この二人に隠者の生活を代表させた。なお後の二人は夏黄公と甪里(ろくり)先生です。
「老氏」は「老子」を著述したとされる古代の賢者のこと。「子=先生」は儒者にしか使えず、老荘や仏教のやつら「氏=ふつうの人」と呼ぶ、という考えかたがあるので、それに法っているのでしょう。その「老子」第二十二章にいう、
曲則全、枉則直、窪則盈、弊則新、少則得、多則惑。是以聖人抱一為天下式。
曲なれば全く、枉なれば直く、窪(あ)なれば盈ち、弊すれば新たに、少なければ得、多ければ惑う。是を以て聖人は一を抱きて天下の式と為れり。
曲がっているものこそ完成する。
枉げられたものこそ真っすぐになる。
くぼんで低くなったところにこそ(水が)満ち溢れる。
破れたものこそ新しくなる。
持っている物が少なければ得ることができるが、
持っている物が多ければどれを選べばいいかわからなくなる。
だから、聖人は「一なるもの」を腹に抱えて(積極的に生きることなく)天下の見本となったのだ。
不自見故明、不自是故彰、不自伐故有功、不自矜故長。夫唯不争、故天下莫能与之争。古之所謂曲則全者、豈虚言哉。誠全而帰之。
自ら見(あら)われざるが故に明、自ら是とせざるが故に彰、自ら伐(ほこ)らざるが故に功有り、自ら矜(ほこ)らざるが故に長し。それただ争わず、故に天下これと能く争うもの莫し。いにしえの曲なれば全き者、あに虚言ならんや。誠に全くしてこれに帰す。
自分から目立とうとしないから明らかに見え、
自分から正しいと言わないから褒めそやされ、
自分から威張らないから功績が認められ、
自分から人より上に立とうしないから長い期間そこにいられる。
(そのひとは)誰とも争わない。ただそれだけだ。だから、天下にそのひとと争える者は一人もいない。
大昔に、曲がっていて完成したという人がいたという。どうしてそれが空言であろうか。本当に完成して、そして終わるべきところに終わったのだ。
ほんとはこれだけでも三時間ぐらい話してやらねばならぬこともあるのですが、みなさんお忙しいでしょうからまたの機会にして、元の漁父のコトバに戻ります。
漁師おやじは続けて言った、
且養志者忘形、養形者忘利、致道者忘心。心形倶忘、其視軒冕如糞土耳。
かつ志を養う者は形を忘れ、形を養う者は利を忘れ、道を致す者は心を忘る。心・形ともに忘るれば、その軒冕(けんべん)を視ること糞土の如きのみ。
「それに、精神を大切にする者は身体のことなど気にしない。身体を大切にする者は経済的・政治的な利害のことなど気にしない。タオを究める者は心さえどうでもよくなる。心も体もどうでもよくなってしまえば、高い身分や財産など、うんこや土のようにしか見られなくなってしまうものじゃ」
「軒冕」の「軒」は、家の軒先ではなく、もともとはくるま偏がついているように、大夫など諸侯の家老クラスが乗る豪華な車のこと。「黒いレクサス」とか意訳できるかも。「冕」は貴族のつける冠のこと。「軒冕」は高い地位、あるいはそれにある人を言います。もちろん財産も持っている。
というわけで、
与子出処異趣、無与吾事。
子と出処を異趣にすれば、吾が事に与かる無かれ。
(わしは高い地位をうんこのように思っているから)おまえさんとは出仕するか隠棲するかの方向性が違っておる。わしの事には構わないでくだされ」
「なるほど。りょうかいしました! 納得です」
かくして潘裕は漁父と別れたという。
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清・潘永因「宋稗類鈔」巻二「隠逸」より。オールスター休みで観タマが無い、というだけで、中華も食えるし「老子」も引用できます。ああ、ありがたい。だが明日から始まるのだ。
ところで、この漁師のおじさんみたいな人は、ふつういません。これまでにそこらで会ったことない。思うにこれは潘裕の寓言(何かためにするところのあるたとえ話)なのであろう。
だが、世運は降り、我が身は老いたり。上に聖明の君主ありといえども讒佞の臣下たちが我が物顔に取り仕切る時代じゃ。わしもそろそろ、この漁父と行をともにするのがよいのかも知れぬ。東京にいて一極集中を助長するのも本意ではありませんし。
みなさんはまだうんこや土を追いかけていてもいいんですよ。(笑笑笑)
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