食之甘美(これを食らえば甘美なり)(「荊州記」)
明日の朝早い!と思ってたのですがその用事は今朝で日にちを間違っていて、用事はすっぽかしてしまいました。本日は平謝りにておかげで明日の朝にあると思っていた用事が無くなったので今晩も夜更かしできるというわけじゃ。

もうダメだ、とか泣き言をいうとはなにごとか。もっと鍛えてやる・・・と言っていると本気で怒ってくるかも知れません。地球が。
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夜更かししていて、いいものを見つけました。秦の時代、洛陽の南に置かれた南陽郡に、酈(れき)という県がありましたそうなんじゃが、
県北八里有菊水。其源旁悉芳菊、水極甘香。
県北八里に菊水有り。その源の旁らは悉く芳菊にして、水極めて甘香す。
この県の県庁所在地から北に3.2キロ(秦代の一里≒400メートルで計算)行ったところに、「菊水」という川がある。その川の水源(になっている泉)のかたわらは、すべて香りのよい菊だらけであり、この水はきわめて甘い香りがするのである。
その菊水の水源近くある島の中に、
有三十家、不復穿井、仰飲此水、上寿百二十三十、中寿百余、七十者猶以為夭。
三十家有りて、また井を穿たず、仰いでこの水を飲み、上寿は百二十三十、中寿は百余、七十なる者はなお以て「夭」(よう)と為す。
三十軒ほどの家があるが、この村では井戸を掘らない。菊水の川の水を戴いて飲んでいる。長生きの者は百二十~百三十歳に至り、普通のひとで百歳ちょっと、七十で死んだやつは「若死に」とされるのである。
漢司空王暢、太傅袁隗為南陽令、県月送三十余石、飲食澡浴悉用之。
漢の司空・王暢、太傅・袁隗は南陽令為れば、県月に三十余石を送り、飲食澡浴悉くこれを用う。
漢の時代に首相クラスになった王暢、皇太子の家老として権威のあった袁隗などは、南陽郡の長官だったことがあるので、酈県からは毎月600リットル以上のこの水を(長安の二人のもとに)送り届けていた。彼らは飲食にも洗濯にも入浴にも、この水を使っていたそうである。
大尉胡広父患風羸、南陽恒汲飲此水、疾遂瘳。
大尉・胡広の父、風羸を患い、南陽にて恒にこの水を汲みて飲み、疾ついに瘳えたり。
首相クラスになった胡広の父は中風(?)を患っていたが、南陽に住んでいた間いつもこの水を汲んで飲んでいたところ、病気はとうとう治ってしまった。
此菊茎短花大、食之甘美、異於余菊。広又収其実、種之京師、遂処処伝植之。
この菊は茎短く花大、これを食らうに甘美なること、余の菊に異なれり。広またその実を収め、これを京師に種(う)え、遂に処処にこれを伝え植える。
この菊は茎が短く、花が大きい。これを食べてみると甘くとろけるように美味である。他の菊とはまったく違う。胡広はその種を収穫して都(長安)にも植えてみた。その後、あちこちの各地方に広まっているのである。
甘く美味であるのは、大きい事と同じぐらい、いいことです。
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南朝宋・盛弘之「荊州記」より。「後漢書」郡国志四の注から引用させてもらいました。こんな菊はいまもどこかにあるんでしょうか。同じように長寿をもたらすという謡曲「菊慈童」に出てくる「菊水」とも違うようです。菊慈童は八百歳まで行ってるので、ここの水の上寿を越えること六百七十歳ぐらい。荒唐無稽ですぐにウソだとわかりますが、百三十歳ぐらいまでなら進化するかも・・・と思わせて、ATMで振り込ませたりする詐欺に使われるかも。騙されませんように。
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