老夫仰天(老夫天を仰ぐ)(堤静斎詩)
熊本地震のあとにバクハツ。まだ原因がわかりませんが、建物の壊れ方がひどいですね。

ほんとは惑星ではないんですが、そう見えるということで昔の人が名づけたんだそうです。昔のひとは大らかだなあ。
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磐梯山在岩代耶麻郡。東隅二峰双起、高曰大磐梯、低曰小磐梯。
磐梯山は岩代耶麻郡に在り。東隅に二峰双起し、高きは大磐梯と曰い、低きは小磐梯と曰う。
磐梯山というのは岩城の国の耶麻郡にあるんじゃ。東の隅の方に二つ、飛び出た高い峰があって、より高い方が「大磐梯」、低い方が「小磐梯」と呼ばれる。
さて、
明治戊子七月十五日、小磐梯噴火、全峰皆崩。民為之死者五百数十人、惨亦極矣。
明治戊子七月十五日、小磐梯噴火し、全峰みな崩る。民のこれが為に死する者、五百数十人、惨たることまた極まれり。
明治二十一年(1888)の夏七月十五日のこと、このうちの小磐梯が噴火しおったのじゃ。峰は完全に山体崩壊を起こし、このために人民五百数十人が死におった。むごさもここに極まったような大災害である。
詩以記事。
詩以て事を記す。
詩を作って、その事件を記述しておく。
という題名の詩です。以下、わかりやすい詩ですが、長いので、韻の替わったところで切って読んでみます。
磐梯七百八十仞、双峰摩天競雄峻。
磐梯七百八十仞、双峰天を摩して雄峻を競えり。
一仞は七尺のことなので、一尺≒30センチで計算すると・・・うーん・・・うーん・・・めんどくさいので七尺=2メートルとさせていただくと、七百八十仞は1560メートルになります。試みに磐梯山の標高を調べてみると1816メートル余。少し差が大きいですが、まあ明治の人だからいいか。
磐梯山は標高1600メートル、
二つの高峰が空をこするというぐらいそびえたち、どちらが険しいか競っているほどであった。
ところがその山の地下では、
火気伏中骨久焦、有如地底置大窯。
火気中に伏して骨久しく焦げ、地底に大窯を置くが如き有り。
火の気が中に籠っていて、大地の骨は長い間焦げており、地底に大きなカマドを置いたような状態だったのである。
次は十六句にわたって換韻が無いので長いです。飽きて来ると思います。
歳在戊子夏七月、烈炎忽噴一峰裂。
巨石朽壌軽于灰、掀翻空中如雨雪。
河流壅塞変作湖、平地起山山突兀。
黒雲翳日昼冥冥、大風捲地樹皆抜。
痛哉麓下幾村落、変生俄傾魂慄慄。
求径欲走乱石飛、転脚欲避熱泥溢。
父子不能相扶、夫妻不能相恤。
生堕焦熱地獄中、六百男女殆無脱。
歳戊子に在るの夏七月、烈炎忽ち噴きて一峰裂く。
巨石朽壌灰よりも軽く、空中に掀翻して雨雪の如し。
河流壅塞(おうさい)されて変じて湖と作り、平地山を起こして山突兀たり。
黒雲日を翳(おお)いて昼冥冥、大風地を捲きて樹みな抜かる。
痛なるかな、麓下の幾村落、変の俄傾に生じて魂慄慄たり。
径を求めて走らんと欲するも乱石飛び、転脚して避けんと欲するも熱泥溢る。
父子相扶くること能わず、夫妻相恤れむこと能わず。
生きながらに堕つ焦熱地獄中、六百男女ほとんど脱する無し。
と、換韻なしに事件を叙述しています。
歳(木星)は十二年で天を一周する(天動説的発想)が、今年は戊子の方角にある、すなわち明治二十一年の七月十五日のこと、激しい炎が噴き出して、一つの峰が吹っ飛んだんじゃ!
でかい石やぼろぼろの土が、灰よりも軽く空中でくるくると翻り、まるで雨か雪のように降ってきた。
川の流れがふせぎ止められ、突然湖が出現し、平地は持ちあがって山になり、山はさらに突き上げられた。
太陽は黒雲の中に隠れて、真昼間だというのにあたりは暗くなり、すごい風が地面に吹きつけて樹木はみんな根っこから抜かれてしまったんじゃ!
その中で、なんと痛ましいことではないか、山のふもとににはいくつかの村があった。天変地異の起こったのがあまりにも急だったので、村人たちは(なすすべも無く)肌にぶつぶつができるほどに恐怖におののいた。
道を求めて逃げようとしたが、岩石が飛んでくるのだ。方向を替えて避けようとするが、そこには溶岩流が流れて来るのだ。
親と子が助け合うこともできず、
夫と妻が慰め合うことできなかった。
村民たちは生きながらに焦熱地獄におとされ、六百人もいた男と女、脱出できた者はほとんどいなかった。
作者の感想に移ります。
聖主視民真如傷、王土何物降此殃。
聖主民を視ること真に傷(いた)めるが如く、王土何物ぞこの殃(わざわい)を降す。
聖なる君主・明治天皇は人民たちが苦しんでいるのをみると、まるで自分が傷ついたように同情される(断じて天が譴責を加えるような政治ではない!)。それなのに、この理想的な王国の地に、いったい何者がこんな災いを下したのだろうか。
皇天何不早瀉銀河水、銷此満窯烈烈之火気。
不然何不附人垂天翼、高搏扶揺一斉避。
皇天何ぞ早(すみや)かに銀河の水を瀉(そそ)ぎ、この満窯の烈烈の火気を銷さざるや。
然らざれば何ぞ人に垂天の翼を附して、高く扶揺を搏(う)ちて一斉に避けしめざらむや。
大いなる天よ。どうして大急ぎで銀河の水を注いで、あの地下のカマドのすごい炎の熱気を消してくれなかったのか。
そうでないなら、どうして村人たちに天にぶらさがるための翼を付け与えて、空気を打って高く空に上がってみんなで避難することをさせてやらなかったのか。
↑こういうところでどれぐらいすごいことが言えるか、が腕の見せ所のようです。
嗚呼。
造物不仁流惨毒。老夫仰天拊膺哭。
嗚呼(ああ)、造物は不仁にして惨毒を流しぬ。老夫天を仰ぎて膺(むね)を拊(う)ちて哭す。
うおお。
世界を主宰する造物者は、人間的な心が無いから、こんな惨酷ないやなことを降してくるのだ。
このじじい(←自称です)は胸をどんどん叩きながら、声を挙げて泣きじゃくる!
ほんとですよね。
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本朝・堤静斎「磐梯山記事詩」(「明治大正名詩選前篇」所収)。明治時代は新聞に事件の記事と併せてこういう詩を載せるんです。するとなんだかわかる。現代だと写真が載っているようなものではないかと思います。
「こんな詩で何がわかるのか」
と言われましても明治時代のことなんで。電子書籍より紙の方がすぐれているようなものかも知れません。違うかも知れません。
なにしろまだみんな夏になったら裸で歩いている時代、「〇蔵んとこのヨメはあれだでよう」「まったくだ、うっへっへ」とか言っても不適切ではなかった時代なんです。我々すぐれた現代人とは出来がちがいまっさあ。へへへ。
堤静斎は豊後のひと、名は正勝。日田の広瀬淡窓の門に入り、江戸・昌平黌に遊学す。幕府に仕え、維新後新政府に出仕したようですが志を得ず、知新学舎を開いて教授、明治二十五年没。六十六歳。お。数えでしょうから、もうほぼ同年齢じゃ。
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