7月19・20日 奈良・三河調査
奈良の知り合いの実家、三河の知り合いの実家近辺を調査してきました。
〇奈良・明日香村

知り合いの実家が村によって「さくらバーガーX」に改装されたとのこと。

こんなんどこから食うんや。

井戸があったみたいですね。奥は物置?米つき場?門屋もありましたが、誰の家かわかってしまうといけない?ので載せません。

家の前は名高い歌枕・飛鳥川です。子どものころ、こんなところで遊んでいたとは。
世の中は何かつねなる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬となる (古今集)
―――よのなかのことにいつまでも続くことはないのだ。飛鳥川を見てみなされ。昨日まで深い淵だったところが、今日は(降雨などにより流れが変わり)浅瀬となっているではないか。
まったくです。

吉備津姫神社です。聖徳太子のおばあさん、という言い方だと不敬かな。二代の天皇の生母でもあられる。

江戸時代に付近の沼(イケダという場所)から掘り出され、吉備津姫神社に置かれた「猿石」。サルかどうかわからない謎の神像です。神かどうかもわかりません。わたしは古代チャイナの「稷」神ではないかと勝手に思っているのですが。

天武・持統陵。珍しい八角墳(その後各地で発見されていますが、それでもヒトケタのはず)です。一周してみると外見だけでも確かに八角になっています。持統帝は火葬を選ばれた最初の天皇なので骨蔵器に入っていますが、天武帝は石棺。盗掘されたおかげで内部がわかっている数少ない天皇陵です。
〇愛知・新城市
豊橋から車で30分、新城市富岡にやってきました。

全国に二社しかないという車神社です。現在は日本建命を祠る。中世はヒルメの命。創設は不明ながら16世紀中ごろから記録があるとのことなので、松平時代以来の神社です。

神社裏山は昭和20年4月、満州から鋭敏部隊という装甲車部隊が引き抜かれて、本土決戦のために陣地にしていました。小林圭樹をはじめ後に名をなした俳優が何人か所属しており、20年8月以降解隊まで、村で芝居をしたり活躍していたとのこと。写真は装甲車の隠し場所だったそうです。

富岡のふるさと会館のバス停。新城の村営バスしか通ってないみたいですが、この村は戦後、豊鉄バスの路線で、この地は名子役・中村メイコさま(富岡・半原藩重臣の縁者という)が戦後すぐにお祖母さまをお訪ねに見えたところで、その際の経験をお聞きになった三木鶏郎さまが作詞作曲なすったのが名曲「田舎のバス」です。東北弁が出てくるので違和感があったのですが、それは三木のアレンジとのこと。近くに看板もありますが、歌詞が書かれているのでJA〇RACに見つかるとイヤなので写真無し。

車神社裏山から富岡の集落を望む。まことに「瑞穂の国」というべく、三度日本を支配した(足利幕府(主要メンバーは三河に領地あり)、江戸幕府、そしてトヨタによって)といわれるのもムベなるかな。
富岡から約一時間、長篠、鳳来寺を横目で見ながら、四谷の棚田に行きます。

「千枚田」と呼ばれますが、実際には千枚以上あるとのこと。知り合いの実家がこの近くらしいのですが、ちょっとハンバーガーなど売ってくれる雰囲気はない山村です。

付近の小学校も含め、今も耕作されていますが、明治三七年、土砂崩れで多くの村民が生き埋めになり、田んぼも潰されてしまった。生き残った村民たちが開いたのがこの棚田である、とのこと。
止めておけばよかったのですが、がんばって登ってみました。途中熱中してきたが、田んぼには柵があって、農薬入りとはいえ豊富な水が目に入るのですが飲むことができませんでした。次に登るときは水を持って行こう。

登ろうと思ったのは、土砂に埋もれたひとたちの供養碑があるとのことで、そこまでは行ってご挨拶したかったからです。右がそれです。

帰りは下りだから楽ちん、とはいきませんが、行きよりは楽でした。

車の中で持っていたペットボトルのお茶飲んだが、車中で無くなって困りました。豊橋で食った「デ味噌~ス付オムライス」。美味そうです。実際美味かったけど、ふらふらでした。
数日後にこのページ整理していますが、この時の後遺症でいまだにふらふらします。帰京してからの東京が暑すぎるのもありますが。
なんにしろ三河はすごいなあ。もっと調べなければ・・・とは思うのですが、独立リーグの球団でもあればいいのですが、無いと冬場しか使えないんです。
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