不得称龍(龍と称するを得ず)(「後漢書」)
明日から涼しくなるなどとはホントは思ってませんが、なんかそういう非科学的なことを言っていると「あいつはオロカ者だ」と思わせて、攻撃を避けることができるかも知れません。くっくっく(←泣いているのではありません。笑っているのですぞ)。

ペンギンでペン。冷房があるならがんがん冷房を効かせて生きていくしかないでペン。冷房や電気のない人には申し訳ありませんが、戦国武将のような冷酷な感情で生きるでギン。おおっと、肝冷庵のコトバが引用されています。肝冷庵も戦国武将のような心で「諸橋大辞典」を見放したようでペン。
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龍のようなトップクラスまで成り上がれるならいいのですが、龍ともいいがたいところまで、となると現状維持に走ってしまいますよね。
後漢・霊帝の光和元年(178)六月(旧暦です)、真夏の日の昼下がり、
有黒気堕北宮温明殿東庭中。黒如車蓋、起奮訊、身五色。
黒気有りて北宮・温明殿の東庭中に堕つ。黒きこと車蓋の如く、奮訊を起こし、身五色なり。
「奮訊」(ふんじん)の「訊」は「康煕字典」を引いてみたら「迅」(はやい)と通ず、とのことです。ネットではここまで教えてくれないので、便利な本だなあ。
黒いガス状のものが宮中北部の温明殿の東側の庭に降りてきた。その黒さは馬車の屋根のようであり、ぶるぶると素早く震え(て形を成し)た。(形を成すと)その身は(黒ではなく)五色に彩られていた。
「馬車の屋根」が黒かったことがわかりました。
そのもの、
有頭、体長十余丈、形貌似龍。
頭有り、体長十余丈にして形貌は龍に似たり。
頭があるようである。体長は十数丈あり、見た目はどうも龍に似ている。
一丈≒2.3メートルですから、10倍プラスアルファで30メートルぐらいでしょうか。当時の人たちが「龍」の姿を知っていたこともわかりました。昔のひとはすごいなあ。
帝は、知識人の蔡邑を呼んで、これが何ものであるか尋ねた。
蔡邑は言った、
所謂天投蜺者也。不見足尾、不得称龍。
所謂(いわゆる)「天投蜺」(てんとうげい)なるものなり。足・尾を見ざれば、龍と称するを得ず。
「これは、例の「空から投げ落とされてきた虹(の片割れ)」でございます。足としっぽまでは形を成しておりませんから、「龍」というわけにはまいりますまい」
と。
「虹」はおしりの引っ付いた雄(虹)と雌(蜺)の二匹の龍(アーチ型)で、それぞれの頭が水を飲んで、体の部分で雨を降らせる、ということになっていました。今回のは、そのうち片割れは天にあるままで、片割れ(これは雌の方だと考えられているようです)だけ地上に投げ出されてきたのだ、という考え方のようです。ジェンダーによる区別は現代では不要だと思うのですが、むかしの人はダメですね。
さて、蔡邑は、以下、その博識を以て解説し出しました。なお、引用されている書名はすべて「緯書」(「経」書に対して横糸に当たる神秘的な解説書のこと)です。
易伝曰、蜺之比無徳、以色親也。
「易伝」に曰く、蜺の比には徳無し、色を以て親しむなり、と。
「易注釈」によりますと、「虹の仲間にはパワーはない。色(見た目・エロさ)によって近づいてくるものなり」といいます。
春秋潜潭巴曰、虹出、后妃陰脅王者。又曰、五色迭至、照于宮殿、有兵革之事。
「春秋潜潭巴」に曰く、虹出づれば、后妃陰に王者を脅かす、と。また曰く、五色の迭至して宮殿において照らすは、兵革の事有り、と。
「春秋の注釈である淵に潜んでいる謎」という本には、こうあります。
あ)虹が出るというのは、おきさきが陰では王者を脅かしていることの兆しだ。
い)五つの色がだんだんと変わっていって、それが宮殿を照らし出す、というのは、軍事的な動きがあって世の中が革まることがあることの兆しだ。
今のひとは虹を「七色」に見ますが、当時の人には「五色」に見えたということがわかります。
演孔図曰、天子外苦兵、威内奪、臣無忠、則天投蜺。
「演孔図」に曰く、天子、外には兵に苦しみ、威は内に奪われ、臣に忠無ければ、すなわち天は蜺を投ず、と。
「孔子の言ったことの演繹図説」という本によれば、「天子が外部では戦争がうまくいかずに苦しみ、威厳を内部(皇后)に奪われ、臣下も忠誠心を持たない――こんな時には、天が虹の片割れを地上に投げ(て警告す)る」
と。
結論として、付け加えた、
変不空生、占不空言。
変は空しくは生ぜず、占いは空しくは言わず。
おかしなことが起こるのには理由があるのです。予言は必ず何かを警告しているのです。
その後、黄巾の乱が起こり、帝が崩じ、皇后何氏一族の専権があり、董卓が政権に参加し、何氏と宦官の争いがあって、とうとう董卓が政権を掌握し・・・後漢帝国が滅亡していく姿については、横山光輝先生の著でも読んでください。
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「後漢書」五行志五より。「占いは空しく言わず」もいいことばですが、ここは「龍と称するを得ず」の方を標題に選ばせていただきました。田舎から出てきて一生懸命(かどうかは別として)働いていろんな人脈も作ってみたが、なかなかでかい家や高層マンションに暮らすことはできず、値上げで生活切り詰めないと、という親・祖父母の世代を見ていれば、若者たちが人間関係の範囲を小さくしていくのもムベなるかなではございませんか。
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