莫能審之(能くこれを審らかにするなし)(「洛陽伽藍記」)
何がイヤになったのか、と言われると困るのですが、とにかくもうイヤだー。強いていえば現世からの逃避か。

日食・月食は、天の狼・フェンリルが日月を食べるから起こるのである、と古いスカンジナビアの伝えには言う。世界のおわりのときには、このフェンリルがこの世すべてを飲み込むのだ、と。
ところで、インド天文学では、食を惹き起こす天体を「羅睺」(らごう)といい、これは「邪魔もの」の謂い。日月をこの黒い星が隠すのである。ブッダは息子を「羅睺羅」(らごら)と名付けた。自ら出家し、真理を覚るのに、子どもへの情は障害であるから、息子を「邪魔者」と名付けたのであるという。
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チャイナでは漢帝国が栄えているころのことだと思いますが、西域に于闐(うてん)という国がございました。
于闐王不信仏法。有商胡将一比丘石毘廬旃、在城南杏樹下。
于闐王、仏法を信ぜず。商胡の一比丘・石毘廬旃を将(ひき)いる有りて、城南の杏樹下に在り。
于闐の王さまは(当時)、仏法を信じていなかった。そんな時、インド・アーリア系の商人が一人の僧侶を連れて国にやってきた。その僧侶の名は「石毘廬旃」、「石」は「タシュケントのひと」を表わしますから、「タシュケントのビルセンナ」という。都市国家の城門の南のあんずの木の下に所在していた。
城に入るには王の許可がいるので、城門の南におられたのでしょう。
その商人は、
向王伏罪云、今輒将異国沙門来在城南杏樹下。
王に向かいて伏罪して云う、「今すなわち異国の沙門を将いて来たり、城南杏樹下に在り」と。
王に向かって、罪に服すことを意思表示して、言った、「申し訳ございません。今、異国の僧侶を連れてきてしまいました。城門の南のあんずの木の下に待機しております」と。
「なんじゃと、けしからん」
王聞忽怒、即往看毘廬旃、旃語王曰、如来遣我来、令王造覆盆浮図一躯、使王祚永隆。
王、聞きて忽ちに怒り、即ち往きて毘廬旃を看るに、旃、王に語りて曰く、「如来我をして来たらしめ、王をして覆盆(ふうぼん)の浮図(ふと)一躯を造らしめて、王の祚をして永隆ならしめんとするなり」と。
王は商人のコトバを聞いて急に怒り出し、すぐに城門の南に行って、ビローセンナに対面した。ビローセンナは王に対して言った、
「如来さまがわたしをお遣わしになりましたのじゃ。王に、盆を伏せたような形の仏像一体を作らせて、その功徳によって王の国を永遠に栄えさせようとの思し召しにござります」
王は言った、
令我見仏、当即従命。
我をして仏を見せしむれば、まさに命に従うべし。
「ははは、わしに仏さまを見せてくれんかな。そうすればおっしゃるとおりにいたしましょうぞ」
すると、
毘廬旃鳴鐘告仏。
毘廬旃、鐘を鳴らして仏に告ぐ。
ビローセンナは、カネをごーんと鳴らし、仏に向かってぶつぶつと何か唱えていた。
どーん。
即遣羅睺羅変形為仏、従空而現真容。
即ち羅睺羅(ラゴラ)を遣わして変形して仏と為し、空よりして真容を現わす。
即座に、ブッダの十大弟子の一人にしてブッダの実子というラゴラ尊者をブッダの姿に変化させて、空中にそのまことの姿を現出した。
わざわざラゴラ尊者に変身させたのは何故か(ブッダが自分でやればいいのに)とか、変身させているのにまことの姿なのは何故か、など解かねばならない謎はたくさんあるのですが、とにかく王は驚いた。
「うひゃあ」
王五体投地、即於杏樹下置立寺舎、画作羅睺羅像。
王五体投地し、即ち杏樹の下に寺舎を置立し、羅睺羅の像を画作す。
王は体を地面に投げだすほど感動して、すぐにこのあんずの木のところにお寺を建て、そこに自分が見たラゴラ尊者の像(さっきはブッダの真の姿、と言ってたのに・・・)を画かせた。
ところが、この寺も絵も、
忽然自滅。
忽然として自滅す。
突然、おのずから無くなってしまった。
于闐王更作精舎、籠之、令覆瓮之影恒出屋外。見之者無不回向。
于闐王さらに精舎を作し、これに籠り、覆瓮の影をして恒に屋外に出ださしめ、これを見る者回向せざる無し。
于闐の王は、今度は修行もできるお寺を建造して、自分もそこに籠ってしまった。そして、伏せた瓦器の影がいつも建物の外に映るようにしたので、この影を見た者は、(王の崇仏の気持ちを推し量って、仏に寄付をしない者はいなかった。
みんなした、ということです。
其中辟支仏靴、於今不爛、非皮非綵、莫能審之。
その中の辟支仏の靴、今においても爛れず、皮にあらず綵にあらず、能くこれを審らかにするなし。
その寺には、仏の教えを受けずに修行をして悟りを開いた者、すなわち小乗の求道者の遺した靴があり、現代(北魏の時代)に至るも腐敗していない。皮革でも無ければ色糸の織物でも無く、これが何ものなのか、知ってるひとはいない。
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北魏・楊衒之「洛陽伽藍記」巻第五より。この靴は相当有名だったらしく、唐の段成式「酉陽雑俎」巻十にも、
于闐国賛寧寺有辟支仏鞾、非皮非綵、歳久不爛。
于闐国・賛寧寺に辟支仏の鞾有り、皮に非ず綵に非ず、歳久しきも爛れず。
于闐国の賛寧寺に、小乗の悟りを開いた方が遺された靴があるそうだ。皮革でも無く織物でも無い。ずいぶん古いものだが、腐敗しないのである。
とあります。ただ、靴とラゴラ出現の奇蹟との関係が全くない。少なくとも説明がないので、「へー、そうなんですか。それで?」と言いたくなってしまいます。こういう腐敗しないものは中古で流通させるしかないかも知れません。
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