博観異書(異書を博観す)(「夢渓筆談」)

あちこちで見聞を広めるより、やはり書物です。

読書? AIに調べてもらった方が速い? いや、読書には単なる知識だけでなく・・・読書にそれ以外の意義があるか? うーん、わしら古い者の道は、産業革命期に機械を壊したというラッダイト運動しかないかも。

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杜甫の詩に、四川から長江を下った湖北の山間部では、

家家養烏鬼、頓頓食黄魚。

「黄魚」が、ヤマメのような川魚の一種というのはわかるのですが、「烏鬼」というものが何か、最近(北宋の時代の途中)までわからなかったんです。

世之説者皆謂夔峡間至今有鬼戸、乃夷人也。其主謂之鬼主。

これは説明になっていない。

不聞有烏鬼之説。又、鬼戸者夷人所称、又非人家所養。

ということで謎になっていたのですが、

士人劉克、博観異書。

彼が「夔州図経」というほかに伝わらない珍しい本を持ち出して来て、言うに、

蜀人臨水居者、皆養鸕鷀。縄懸其頸、使之捕魚、得魚則倒提出之、至今如此。峡中人謂鸕鷀為烏鬼。

と、本に書いてあるだけで、わしは見たことはないが」

要するに「鵜」のことです。「鬼」の字に惑わされてはいけない。
これによってはじめて、杜甫が、

と続けている意味もわかりました。「鵜」の行動としても読めるし、「鵜」のおかげでみんなヤマメが食べられている、とも読めます。

だが、ホントに書物にあることは信用できるのであろうか。

余在蜀中見人家養鸕鷀使捕魚信然。但不知謂之烏鬼耳。

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宋・沈括「夢渓筆談」巻十六「芸文三」より。書物の方が実地調査より知識量が多い、ということのようです。
二三日ほっつき歩いてましたが、何も勉強にならないので、やはり書物で勉強しなければなりません。どんどん処分してしまうと勉強できなくなるのでは。
二三日何をしていたかは別途「観タマ」で別の肝冷庵から報告予定。ああっと、「観タマ」をしていたことがバレてしまう!

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