雩礼求雨(雩礼もて雨を求む)(「後漢書」)

新暦における七夕ついては言及するを避け、立春以降立秋に至るまでの半年間で気をつけなければいけないことに言及しようと思います。

みんな仲良くね。麻酔銃でカンベンしてこぐまー。

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自立春至立夏尽立秋、郡国上雨沢。

若少、郡県各掃除社稷、其旱也、公卿官長以次行雩礼求雨。

そして、

閉諸陽、衣皁、興土龍、立土人舞僮二佾、七日一変如故事。

難しいことがいろいろ書いてあって、全部理解できるわけではないのですが、

祭りを終えて、

反拘朱索縈社、伐朱鼓。祷賽以少牢如礼。

ということをしなければなりません。赤い縄や赤い太鼓を使うのは、これが陽の側のものであり、これによって陰の性質を持つ社の神さまを傷めつけることで、陰の力をバクハツさせて雨を降らせる、ということだそうです。

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「後漢書」礼儀志中より。古代はこんなことをしていたんですね。なお、「雩」(う)は「論語」にも出て来る古い祭礼ですが、むかしから雨ごいの祭りと理解されています。

「春秋公羊伝」何休がつけた注を見ますと、次のようにあります。

君親之南郊、以六事謝過自責。

「六事」とは何であるか。

政不善与。民失職与。宮室崇与。婦謁盛与。苞苴行与。讒夫倡与。

これが古代の君主のしてはいけないことだったのでしょう。

その後、

使童男女各八人舞而呼雩、故謂之雩。

あはは、むかしの人は原始的だなあ。政治が悪かったり、人びとが仕事を失くしたり、公共施設がでかかったりすると雨が降らなくなると信じていたなんて。讒言する人がいてもダメ? 情けない。為政者が何やっても天地は大して怒らないと今年も証明されているのになあ。

笹の葉、たーなばたー。今年も半分以上過ぎました。もう一度スタートしなおしてみよう。

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