雩礼求雨(雩礼もて雨を求む)(「後漢書」)
新暦における七夕ついては言及するを避け、立春以降立秋に至るまでの半年間で気をつけなければいけないことに言及しようと思います。

みんな仲良くね。麻酔銃でカンベンしてこぐまー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自立春至立夏尽立秋、郡国上雨沢。
立春より立夏に至り立秋に尽くるまで、郡国は雨沢を上とす。
立春から立夏を経て立秋に至るまで(二月の上旬から八月の上旬)の間、地方においては雨がたっぷり降るのを「良い」こととしている。
若少、郡県各掃除社稷、其旱也、公卿官長以次行雩礼求雨。
もし少なれば、郡県おのおの社稷を掃除し、其の旱なるや、公卿・官長次を以て雩礼を行い雨を求む。
もし雨が少なければ、地方官庁においては、それぞれの地の社(土地神)と稷(しょく。農業神)の祭り場をきれいに浄め、それでも日照りで雨が降らないということなら、身分の高いひとや役所の長は、宿泊のある出張(「次」)により「雩」(う)の祭りを行い、雨ごいをしなければならない。
そして、
閉諸陽、衣皁、興土龍、立土人舞僮二佾、七日一変如故事。
諸陽を閉ざし、衣を皁(そう)にし、土龍を興し、土人の舞僮二佾(いつ)を立て、七日一変すること故事の如くす。
難しいことがいろいろ書いてあって、全部理解できるわけではないのですが、
いろんな陽気の出口(例えば南側の窓とか)を塞ぎ、着るものは黒色にし、土龍の力を強くさせるように地面を祀り、地元の童子たちに二列(一列八人)の舞踏をさせ、しきたりどおり七日区切りで祭りを行う。
祭りを終えて、
反拘朱索縈社、伐朱鼓。祷賽以少牢如礼。
反(かえ)りて朱索を拘して社に縈(まつ)わらしめ、朱鼓を伐つ。祷賽するに少牢を以てすること礼の如し。
出先から戻って「社」に行き、赤い縄で社殿をぐるぐる巻きにして、赤い太鼓を叩いて「社」の神さまに雨を降らせるように要請する。捧げものとしてヒツジの肉を献上することは、例年どおりである。
ということをしなければなりません。赤い縄や赤い太鼓を使うのは、これが陽の側のものであり、これによって陰の性質を持つ社の神さまを傷めつけることで、陰の力をバクハツさせて雨を降らせる、ということだそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「後漢書」礼儀志中より。古代はこんなことをしていたんですね。なお、「雩」(う)は「論語」にも出て来る古い祭礼ですが、むかしから雨ごいの祭りと理解されています。
「春秋公羊伝」に何休がつけた注を見ますと、次のようにあります。
君親之南郊、以六事謝過自責。
君親(みずか)ら南郊に之(ゆ)き、六事を以て過ちを謝して自責す。
君主は自ら首都の南の郊外に出かけて、「六つの事」について過ちがあったかも知れないのでこれを(天地に)謝罪し、自らを責めなければならない。
「六事」とは何であるか。
政不善与。民失職与。宮室崇与。婦謁盛与。苞苴行与。讒夫倡与。
政、善ならざるか。
民、職を失えるか。
宮室、崇(たか)きか。
婦謁、盛んなるか。
苞苴(ほうしょ)、行われしか。
讒夫、倡せるか。
これが古代の君主のしてはいけないことだったのでしょう。
わたくしのまつりごとに善くないことがありましたでしょうか。(ならばお詫びいたします。)
人民が自分の仕事をすることができない(徴発して農業の邪魔をした)ことがあったでしょうか。
宮殿が豪華すぎるのでしょうか。
女を連れ込むことが、盛んでありすぎたでしょうか。
重臣や諸役人がてみやげを受け取ったり届けたりしたのでしょうか(贈収賄があったか)。
人をあしざまに告げ口するやつらにしゃべらせすぎたでしょうか。
その後、
使童男女各八人舞而呼雩、故謂之雩。
童男女おのおの八人を舞わせ、「雩」(う)と呼ばせしむ。故にこれを雩と謂うなり。
男の子と女の子、それぞれ八人づつをぐるぐる舞わせ、ひと踊りしたところで「う」(雨ふれ!)という掛け声をかけさせる(そういう踊りをさせる)。そこで、この祭りを「雩」(雨のまつり)というのである。
あはは、むかしの人は原始的だなあ。政治が悪かったり、人びとが仕事を失くしたり、公共施設がでかかったりすると雨が降らなくなると信じていたなんて。讒言する人がいてもダメ? 情けない。為政者が何やっても天地は大して怒らないと今年も証明されているのになあ。

笹の葉、たーなばたー。今年も半分以上過ぎました。もう一度スタートしなおしてみよう。
コメントを残す