今惟黙睹(今、ただ黙睹す)(「賢博篇」)
黙ってみているのが一番いいんです。

満月は30日未明では。ということは今晩でワン。なんとかカップも。岡本全勝さん復活。250年ぐらい前の話をしています。
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明の時代のことでございますが、
南都上新河、自大江口至江東門、十里而遠。
南都の上新河は、大江口より江東門に至るまで、十里より遠し。
南京の運河・上新河は、長江からの取り入れ口から江東門のところまで5~6キロちょっと(一里≒560m)ぐらいであった。
嘉靖戊申年(1548)、まだ二十代のころにかつてこのあたりに住んでいたことがあるが、毎朝ロバを頼んで沿岸の道を江東門まで乗せてもらうと、いつも十銭余を請求されたものであった。
二十年ほど経った隆慶元年(1567)、久しぶりに通ってみると、
旧館淪入半江中、雇驢不過三四銭矣。
旧館は半ば江中に淪入し、驢を雇うも三四銭に過ぎず。
以前住んでいた下宿は半分ぐらい、もう川の中に沈んでしまっており、ロバを頼んでみたが、わずかに三四銭で運んでくれた。
ずいぶん寂れていた。「どうしたのかな」と問うてみるに、
俗言地為豬婆龍打去。
俗言う、地、豬婆龍の打去するところと為る、と。
地元民たちが言うには、
「この一帯の土地は、江から入ってくる「豬婆龍」(ちょばりゅう)にぶつかられて崩れ去ってしまったのですじゃ」
と。
「豬婆龍が?」
豬婆龍は、いわゆるヨウスコウワニのことです。ただし、体長はたいてい1メートルに満たず、そんなに成長しないので、ぶつかって大地を崩すようなことはないのですが・・・。
「ほんとうに?」
「ヨウスコウワニとしか考えられないのですじゃ」
「ほう」
毎秋天晴明無風浪、江水従一二里外徐徐逼岸、水頭高尺許。
毎秋、天晴明にして風浪無きに、江水一二里外より徐徐に岸に逼り、水頭の高さ尺許(ばか)りとなる。
毎年、秋になって、空が晴れ渡って明るく、風も波も無いような日、長江の水が500mから1㎞向こうから、盛り上がってだんだんと岸に近づいてくるのだそうだ。岸の近くではその波の高さ30センチぐらい。
隠然若有物憑之者、澎湃一撃、則岸之旧坼者倶崩矣。
隠然として物のこれに憑(よ)る者あるがごとく、澎湃として一撃すれば、すなわち岸の旧より坼(さ)くるもの、ともに崩る。
何かが隠れてその波に乗り移っているかのようで、どばー、と岸を一撃すると、以前からひび割れていたところが波と一緒に崩れ落ちてしまうのですじゃ。
「なんと」
然必先期而坼、故岸上人家得以徙避。噛岸時、人皆聚観、往見其怪異、因共大笑。
然るに必ず期に先んじて坼く、故に岸上の人家得て以て徙避せり。岸を噛むの時、人みな聚観し、往きてその怪異を見て、因りて共に大笑す。
とはいえ、必ず「それ」が来る前にひび割れができるので、岸の上の家の人はひび割れが出来たらここに来るとわかるので先に避難できるのですじゃ。
波が岸を削るとき、ひとびとは集まってその様子を見、近寄ってその不思議なのを見て、それでみんなで大笑いしておったんじゃ。
ところが、あるとき、
至墜数十人以死。
墜ちて数十人の以て死するに至る。
その人たちの足もとが崩れて、数十人が死んでしまうということが起こった。
今惟黙睹耳。
今はただ黙睹するのみ。
近年は、ただ黙ってみているだけですのじゃ。(大笑いはしていません)
それにしても、どんどん崩されており、
度其勢、不数年当至山石処方止。
その勢を度るに、数年ならずしてまさに山石の処に至りてまさに止まるべし。
この調子だと、数年のうちに山の岩のところまで崩壊が進み、さすがにそこで止まるだろうと思われる。
その後の状況を記録した人がいないので、どうなったかは不明です。
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明・葉権「賢博編」より。著者の葉権、字・中甫は安徽・休寧のひと、嘉靖元年(1522)生、萬暦六年(1578)に亡くなっています。現代のことに通じ古えのことに博学、詩を善くし、各地を旅行して見識を広めたとのことですが、一番得意なのは博打だったので、博打より賢(まさ)ることを書き留めておこう、といって書いたのが「賢博編」。賢い博士、ではないんです。今日から読み始めました。
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