老去知無用(老い去りて用無きを知る)(戴石屏集)
じめじめすると、むかしからキノコ人間やカビ人間は元気になるんじゃ。

雨が降るとネコは寝るんにゃー。こんな日に起きているやつはあほにゃー。
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南宋の時代、江湖派といわれる詩人群がいます。当時出版された「江湖集」という叢書に扱われた数百人といわれる詩人たちをいうのですが、「江湖」は「市朝」に対して民衆の暮らすところ、という意味です。このグループの詩人たちはほとんどが無官、一部、短い期間、地方の学校の先生などの軽い役人勤めがあるだけの人たちがいる程度です。
その代表的存在といわれる石屏山人・戴復古の五言律詩を読んでみます。吉川幸次郎さんの「宋詩概説」(昭37岩波書店)で見つけたのですが、詩の題が書いてないので題名がわかりません。先生の解説によれば、
晩年は、むすこが小さな二階屋を立ててくれたのに、おちついた。その喜びをのべた五言律詩の一つ
とのことですから、八十いくつまで生きたこの詩人の、年取ってからの作品であることは間違いない。(ただし、読み下し等必ずしも吉川先生には従っていません。)
老去知無用、帰来得自如。
老い去りて用無きを知り、帰り来たりて自如たるを得たり。
歳をとりましてもう役に立たなくなってきたのを理解して、
故郷に帰ってきて、おのずからそうなるような暮らしを得ることができました。
「自如」を「おのずからそうなるような」状態と訳して、あとは読者のイメージに委ねてみましたんじゃが、吉川先生は「自ら如(ゆるや)かなるを得たり」と読み下しています。
幾年眠客舎、今日愛吾廬。
幾年か客舎に眠りしも、今日は吾が廬を愛す。
何年も旅の宿りに寝起きしてきましたが、
今日からはわし専用の庵ができたのでこれがいとしい。
処世無長策、閑時読故書。
世に処するに長策無く、閑時に故書を読むのみ。
世間に対処するのに、特にすぐれた方法を知り得たわけではない。(おそらくないじゃろう。)
ヒマな時には古い書物でも読むでいるのがよかろう。
但能営一飽、渾莫問其余。
ただよく一飽(いっぽう)を営まば、すべてその余を問うこと莫からん。
とりあえず今日は腹いっぱいメシを食う。
それができれば、それ以外のことは何も考える必要はない。
すばらしい。どこかで(い)庵を手に入れて、(ろ)書物を処分して手元に置くのはこれとこれ、ぐらいにして、(は)あとは毎日はらいっぱい食っていることにしますのじゃ。
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宋・戴復古「石屏集」より。(い)(ろ)(は)をすべて整えるにはたいへんな労力が必要です。岡本全勝さんも(ろ)に苦労しているようです。わたしにはなんとなく無理そうな気がするので、今日も(は)だけでガマンしておきますのじゃ。うっしっし。
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