上一檐香(一檐(いちたん)の香を上(たてま)つる(「真誥」)
昭和40年代後半に歌われていた「〇ネ〇ネ団のテーマ」(「愛の戦士レインボーマン」挿入歌)をよく口ずさんでおります。
「カーネで心を汚しちゃえ」
ホントですよね。今だけカネだけ自分だけ、もうどうしようもない世の中になってしまったので、隠棲しますわー。

純粋な心でみぞれなどを食べたいものでぶー。スナック菓子やあんぱん五個入り、なんで買ってきてしまうのかでぶー!
去年後半から日〇国政府や〇民党へのぼんやりした信頼感を失うとともにコメが主食という認識も無くなってしまいました。マインドコントロールがいくつも溶けてしまった感じ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
梁の時代、四平山の方台といわれる洞窟に隠棲した五人の修道者たちについて、神がかりになった霊媒が述べるところを時の大知識人・陶弘景が記録した。その四人目。
蔡天生者、上谷人也。小為嘯父。
蔡天生なる者は、上谷の人なり。小にして嘯父たり。
「上谷」は漢代、現在の北京あたりにあった郡です。「嘯父」とは何であろうか。
一般には、古代の仙人であった「嘯父」(しょうほ)のことだというのですが、この人は「草履直し」の行商人で、何十年経っても年をとらなかった、という。しかし、この後に出てきますが、蔡天生の生業は「草履直し」ではないし、エピソードにも嘯父を連想させるものがない。しようがないので、ここは伝説の固有名詞としての「嘯父」になったのではなく、口をすぼめて息を吐き出しながら音を鳴らし、優秀な人はそれによってドウブツや風雨まで意のままに操るという「嘯」(しょう)の名人だった、という普通名詞と解しておきます。
蔡天生というのは河北・上谷の人である。若いころから「うそぶき(上手の)おじさん」と呼ばれていた。
売雑香於野外。以自業贍、情性仁篤、口不言悪道。
雑香を野外に売る。自ら贍(せん)を業とするを以てし、情性は仁篤にして、口に悪道を言わず。
「贍」(せん)は「助ける、救う」。
いろんな香り物を屋外で売っていた。自分の仕事は人助けだと言い、性格は優しくて篤実、悪いことは口にしなかった。
いい人ではありませんか。
逢河伯少女、従天生市香。
河伯の少女の、天生より香を市(か)うに逢う。
ある時、小娘が天生の行商の店に来て、香草を買おうとした。実はこの小娘が、なんと河伯(黄河の神さま)の末娘だったのである。
天生知是異人、再拝上一檐香。
天生、これ異人なりと知り、再拝して一檐の香を上(たてま)つる。
「檐」(えん)は軒先のことなんですが、「たん」と読むと「担」(もとは「擔」)の意味になります。「かつぐ」「になう」。
天生は、「この方は普通の方でござりますまい」とビビっと来て、二回礼拝すると、ひと担ぎ分の香を差し上げた。
そんなにもらってどうするんだ、ありがた迷惑では、と思いますが、そこは神仙の世界の人だ、
少女感之、乃教其朝天帝玉皇之法。
少女これに感じ、すなわちその天帝玉皇に朝するの法を教う。
小娘は天生の神仙への敬愛の心に感じ入り、ついに宇宙の主宰者・天帝玉皇さまにお目通りする方法を教えてくれた。
こんな小娘が?河伯の娘というのは普通の人間から見ればすごいえらい神仙ですが、そちらの世界では下っ端なのでは・・・と思うのですが、逆に小娘の方があちらの世界では高く評価されているのかも知れません。小娘、と訳していますが、そういう形態をとっているだけで、年齢的には数千、数万歳なんでしょう。
教えられた秘法を一心不乱に使っているうちに、天生は、
遂以獲仙、託形舃杖、隠存方台。
遂に以て仙を獲、形を舃・杖(せき・じょう)に託し、方台に隠存す。
遂に仙道を獲得して、舃(くつ)と杖を自分の身体に化けさせ、それを棺桶に入れて死んだことにして、この方台に隠れて生きているのである。
少女今猶往来之也。天生師之。
少女いまなおこれに往来すなり。天生これを師とす。
こむすめは今も時々やってきて、いろいろ教えを垂れてくださるのである。天生はこの方を師と仰いで、修行を続けている。
・・・・・・・・・・・・・・・・
梁・陶弘景「真誥」稽神枢第四より。隠棲するにもいろいろ術がいるんですね。
こういことを霊媒が「ううー」「ああー」「と呻きながら伝えるのを、陶弘景はすごい敬虔な顔をして書き留めていたかと思うと、いい人だったのかも、と思ってしまいます。実際は時の皇帝から「山中宰相」と呼ばれていろんなことを諮問されていた人なので、おそらくどす黒い一面もあったのではないかと思うのですが如何。
コメントを残す