相見無雑言(相見るも雑言無し)(「陶淵明集」)
もう人とまともに会話するのムリになってきました。

もう役割を終えたと、放り出されて終わりでコケ。衆人酔い、我一人覚めたり、という時には、わたしが排除されるものだと屈原先生も言っております(「楚辞」)。この会社、どう考えても筆者がクビになって大団円になるのでコケ。
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田舎に帰ってきた陶淵明先生も言っておられます、
野外罕人事、窮巷寡輪鞅。
野外には人事罕(まれ)にして、窮巷には輪鞅寡なし。
「鞅」(おう)は馬の胸に当てる馬具。前の「輪」と合わせて、「車と馬」のことです。
郊外の地には人付き合いはほとんどないし、
貧乏路地の奥には、車やウマはなかなか来ない。
なかなかいいところではありませんか。
白日掩荊扉、虚室絶塵想。
白日に荊扉を掩い、虚室に塵想を絶つ。
昼間から雑木で出来た扉を閉ざして、
わしは誰もいない部屋でごみくずのような雑念を断ち切る。
時復墟曲中、披草共来往、
相見無雑言、但道桑麻長。
時にまた墟曲の中に、草を披(ひら)きてともに来往するも、
相見るも雑言無く、ただ道(い)う、桑麻長ぜり、と。
時たまは集落の中で、延びた草をおしのけて行き来することはあるが、
互いに会うても百姓同士、余計なことは言わないで、ただ言う「桑と麻が延びてきたな」と。
仕事の話を手短かにするだけなのだ。
桑麻日已長、我土日已広。
桑麻は日に已に長じ、我が土は日に已に広し。
桑と麻は毎日毎日延びて来る。
わしの畑は毎日毎日広がっていく。
無駄な会話をせずに耕作しているからじゃ。
常恐霜霰至、零落同草莽。
常に恐るるは霜・霰至り、零落して草莽に同じからんことを。
わしの心配ごとはただ一つ、霜やアラレが降って来て、
畑のものが枯れしぼんで、草むらと一緒になってしまうことじゃ。
気候が悪いと困ります。悪政も?
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南朝宋・陶淵明「帰園田居」(園田の居に帰る)其二。帰る家があっても気候が悪化すると労働の成果が得られないのである。帰るべき家も無いのにマジメにやってられるか、株? 半導体銘柄だけじゃろ、というのがファイナルアンサーではなかろうか。
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