致書雨師(雨師に書を致さん)(「幽夢影」)
傘をすぐ失くすのは単に集中力に欠けるからだと思います。どうしようもないので、雨の神さまの方でわたしが傘を持っていないことを気遣っていただきたいぐらいです。

いよいよ本格的にじめじめしてくるよ。お天気だけでなく、身も心も。
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「雨師」は楚辞以来の「雨の神さま」です。
吾欲致書雨師。
吾、雨師に書を致さんと欲す。
わしは、雨の神さまに手紙を送ろうと思うんじゃ。
「ほう、どんな?」
春雨宜始于上元節後、至清明十日前之内。
春雨はよろしく上元節の後に始め、清明の十日前の内に至るべし。
まず、春の雨は、降ってもいいのだが、上元節(一月十五日)が過ぎてから降り始めることにし、清明節(四月五日)の十日前までにしていただきたい。
「なにゆえに?」
観灯已畢、雨止桃開。
観灯すでに畢(おわ)り、雨は桃の開くに止どめよ。
旧暦一月十五日には観灯の祭り(家々の前に紙灯(提灯みたいなやつ)を立て、それに絵や詩を書いて優劣を競い合う宵の祭り。夜店も出る)があるから、それが終わってからにしてもらいたい。また、桃の花が開いたら、雨は止めてもらいたい。
旧暦の一月十五日ですから、季節感的には新暦の二月の中旬。いよいよ春の訪れを感じるころです。
「なるほどのう」
及穀雨節中。
穀雨節中に及べ。
あとは穀雨節(四月二十日~五月四日)の間は降っていただきたい。
「大事な穀物を育てる雨じゃからなあ」
夏雨宜于毎月上弦之前、及下弦之後。
夏雨はよろしく毎月上弦の前にし、下弦の後に及べ。
夏の雨は、毎月上弦の日(七日)以前と下弦の日(二十三日)以降に降らせてほしい。
「その心は?」
免碍于月。
月に碍するを免ぜよ。
満月前後の月見の邪魔にならないでほしいので。
秋雨宜于孟秋季秋之上下二旬。
秋雨はよろしく孟秋・季秋の上下二旬にすべし。
秋の雨は、秋の一月目(旧暦七月)と三か月目(旧暦九月)の一日~十日まで、と、二十日~三十日にしていただきたい。
「細かいなあ」
八月為玩月勝境。
八月、月を玩するの勝境と為せばなり。
だって、八月(仲秋)は、月を鑑賞するに一番いい月だから。(もちろん、七月九月も満月の前後は月見をするので雨はダメ)
至若三冬、正可不必雨也。
三冬のごときに至っては、まさに必ずしも雨せざるも可なり。
冬の三か月に至っては、本当に雨なんか降らさなくてもよろしいです。
おしまい。
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清・張潮「幽夢影」第三十六節。わたしは「幽夢影」中屈指の名作だと思っているのすが、作者の友人たちにも受けたみたいです。
評言に曰く、
孔東塘:君若果有此牘、吾願作致書郵也。
君もし果たしてこの牘有れば、吾願わくば書を致すの郵と作らんことを。
おまえさんが、本当にこの一筆を送るのなら、わしは手紙を運ぶ郵便屋さんになりたいものじゃ。
雨師(おそらく女神)に会ってみたいものじゃのう。ひっひっひ。←インターネットで送ればいいじゃないですか。
余生生:使天而雨粟、雖自元旦雨至除夕、亦未不可。
天をして粟を雨ふらしむれば、元旦より雨りて除夕に至るといえども、またいまだ不可ならず。
天が粟などの穀物=食い物を降らせてくれるのだったら、正月元旦から十二月大晦日に至るまで、毎日雨が降っても、ダメだということにはなりますまい。
張竹坡:此書独不可致于巫山雨師。
この書、独り巫山の雨師に致すべからず。
巫山の女神は朝ごとに雲、夕べには雨を降らす(エッチをしてくれる)という「楚辞」中の神話を踏まえています。なお、張竹坡は作者の弟。
にいさん、この手紙は、巫山の女神さまにだけは届けてはいけませんよ。
「ほう、なんで」
いつごろエッチをしに行きたい、というラブレター以上のものになってしまいますから。
元気があってよろしい! ・・・しまった、明日は一月一回の早起きの日でした。早く寝ないと。
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