飢至于老(飢えて老いに至りぬ)(「陶淵明集」)
今日も時間の無駄遣いで何も作業が進みません。とにかく何をやりはじめても居眠りしてしまうんです。なんとかがんばって起きていても眠くて何もできないんです。ああどうすればいいのだろうか。

時間を有効活用して涼しい北海道や東北に行きたいんですがクマこわいですね。だが観光振興しないと反日になってしまうし、国債はほとんど日銀が引き受けているから日本人にとっては借金じゃないんです、と政権周辺が言っているんだから「ちょっと待て、おかしいのでは」というと反日だし、ディック・ミネみたいな名前だと反日だし、そろそろマジメにダメになってきましたネ、コの国。
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時間は大事に使わないといけないと思います。
顔生称為仁、栄公言有道、
屢空不獲年、長飢至于老。
顔生は仁為りと称せられ、栄公は有道と言わるとも、
しばしば空しくして年を獲ず、長く飢えて老いに至りぬ。
孔子の弟子の顔回は、生活は貧しくてスラムに住み、飯櫃はしばしば空っぽだったが、仁を学んで楽しみを止めなかった(「論語」)。栄啓期という老人は貧乏なのにいつも楽しそうにしていたので、孔子から何が楽しいのか尋ねられ、①人間に生まれたこと、②男性に生まれたこと、③長寿を得たこと、の三つの幸運を得たことを挙げたので、足るを知る人として尊敬された(「列子」)。ちょっと待った。②はマズいな。いや、東洋のむかしの最低カバゴンな思想を剥き出しにしたものとして批判的に残した、ということにすればいいか。まあいいでしょう。
顔回さんは立派な人だと称讃され、栄啓期のじいさんは真理の道を得ていると言われた。
だが、よく飯櫃は空っぽになり、収穫のない年もあり(顔回)、ずっと豊かな食糧も無しに老人になってしまった(栄啓期)のだ。
雖留身後名、一生亦枯槁。
死去何所知、称心固為好。
身後の名を留むと雖も、一生また枯槁なり。
死し去れば何の知るところぞ、心に称(かな)うをもとより好しと為す。
二人とも、死んだ後に名声が残っているといっても、生きている間はぱっとした花も咲かせられなかった。
死んでしまった後では何も知覚できないではないか、生きている間に満足することの方がいい、とわしは以前から思っている。
客養千金躯、臨化消其宝。
裸葬何必悪、人当解意表。
千金の躯を客養し、化するに臨みてその宝を消さん。
裸葬も何ぞ必ずしも悪ならん、人まさに意表を解すべし。
一千万円もするような貴重な肉体を、お客さんのように大切に養い、死んでいくときになったらそれをきれいさっぱり消し去ろう。
漢代に丸裸で葬ってくれるよう遺言した王さまがいたが、それは別に悪いことでもないであろう。みなさんは非常識なことにこそ真理が隠れていることを知らねばならん。
なるほど。
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宋・陶淵明「飲酒」其十一。「飲酒」の連作二十首、ほとんどお酒のことが出てくるのですが、これは出て来ません。大事な時間、いろいろ使いたいですから、しらふの時もあった方がいいかも。だがしらふの時はだいたい居眠りか眠たくて起きていられないか、いずれかだが、それでもしらふの時に憂い悩み考えねばならないよりはいいですよね。よし、中の上ぐらいだ。
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