塗民耳目(民の耳目を塗(とざ)す)(「法言」)
何がダメかというといろいろです。仕事も体調も視力も物価も戸田のネコも、もうダメだ。これから少しはよくなってくるだろうか。人間関係だけは希薄なのでこれまで以上には悪くはなっていません。

権力の側がロックを語る時、それはほんとうにロックなのであろうか・・・と考えてしまいます。結論的にはもうダメだとしか・・・。
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イヤなことには目を閉ざしてしまえればいいのですが・・・。そうだ、権力によって強制的に閉ざしてもらえば、イヤなこと(例えば政府の不正)を見なくてすむのだが。提案したら為政者に喜んでもらえるかなあ。
漢の時代、ある人が揚雄に問うた、
太古塗民耳目。惟其見也聞也、見則難蔽、聞則難塞。
太古には民の耳目を塗(とざ)す。これ、その見るや聞くや、見ればすなわち蔽い難く、聞けばすなわち塞ぎ難ければか。
「超古代の世界が善く治まっていた時代には、人民の耳と目は塗りこめて閉ざしておいた、と聞きます。見たり聞いたりすると、見ようとする者からは隠し切れないし、聞こうとする者に口コミを聞かせないことは難しいですから」
そうだったんですか!さすがは超古代だ。
以下、無用のことながら、殷など古代の墳墓に殉葬された人民には目を潰されてあった死体も多いとか。なお、白川静先生は「民」の字は「目」を「針」(「干」みたいなマーク)で潰している様子だ、潰されたあとの状態が「眠」だ、というのですが、一時は信じてましたが、最近はあまりにオモシロすぎるというただその一点の故に、さすがに違うだろう、と思っています。閑話休題。
先生は言った、
天之肇降生民、使其目見耳聞。是以視之礼、聴之楽。
天の肇(はじ)めて生民を降すに、その目で見、耳で聞かしむ。是を以てこれに礼を視せ、これに楽を聴かしむるなり。
「天(大自然)がはじめて人間というものを地上に生み出した時、その目でものを見、その耳でものを聞くようにしたのである。なぜかというに、その目で秩序を守る礼儀を見させ、その耳で心を延びやかにする音楽を聞かせるためだ。
如視不礼聴不楽、雖有民、焉得而塗諸。
もし視るに礼ならず聴くに楽ならざれば、民有りといえども、焉(いずく)んぞ得てこれを塗さんや。
秩序を守ることを見せず、心を伸びやかにするものを聞かせないのなら、人民たちに対して、どうして目や耳を閉ざさせることができるだろうか。
太古の時代は現代と違って善なる時代だから、目や耳を閉ざさせる必要はなかった。現代は秩序も伸びやかな心も無い時代であるから、民は言うことを聴かないので、目や耳を閉ざさせることはできない。
大方そんなことを言っていると思います。
またある人が言った、
刀不利筆不銛、而独加諸砥、不亦可乎。
刀利せず筆銛せずんば、ひとりこれに砥を加うるも亦可ならずや。
小刀が切れなくなり、筆がちびてしまう。(そうなったら古代の役人(筆で木簡に書き、小刀で削って修正する、いわゆる「刀筆の吏」)は仕事になりませんから、)そのときは、砥石を使って磨いてもよろしいのではないでしょうか。
どうしようも無いやつらには荒療治が必要でございましょう。そして、人民どもはみんなどうしようもないやつらです。くっくっく。
人砥秦尚矣。
人の砥は秦尚(たっ)とべり。
人間に砥石をかけて磨く、そんな非人間的な法治主義は、秦帝国の尊重した方針でしたなあ。
秦はそれ故に滅びたのですぞ。
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漢・揚雄「法言」巻四「問道篇」より。いいこと言っているではありませんか。でも最近ほんとに視力は衰え耳も遠くなってきました。
年寄じゃと思って軽んじおって!怪しからん!
みたいに「文句を言う」ということだけはできるのですが。それもあとどれぐらいか。
土地を持っている人が怪しからん(妬ましい)、という一点だけからも、土地の公益利用進めてほしいような気もします。
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