6月8日 今週は珍しくやることあるが無理か

亦無恐怖(また恐怖(くふ)すること無し)(「夢渓筆談」)

進むも退くも同じだから何もしなくてもいいんですが。

雹はかなり痛いでぶー。

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北宋の尹師魯は大臣目前の直龍図閣(宮中の龍図閣に席を置いて、いつでも皇帝の命を受けられるよう待機すること)から地方に左遷されたが、その際、一僧侶と会話した。これからは静かに暮らしたいというようなことを言ったらしいんですが、これに対して僧侶は言った、

此猶有所懸、不若進退両忘。

尹師魯は何やら理解するところあったようである。

後、少し罪を緩められ、河南の鄭州に移管された。この時、近くの南陽の太守は友人の范希文であった。

ある日、范希文のところに師魯から手紙が来た。

与希文正別、仍嘱以後事。

特に病気のことなど聞いていなかったので、
「何を言っとるんだ、あいつは」
希文は信頼する掌書記(総務課長みたいな感じでしょうか)の朱炎に様子を見に行ってもらった。

炎老人好仏学。

話が合うと思われた。

炎即詣尹、而師魯已沐浴衣冠而坐、乃笑曰、何希文猶以生人見待。

与炎談論頃時、遂隠几而卒。

「おお、お見事じゃ」

炎急使人馳報希文、希文至、哭之甚哀。

すると、

師魯忽挙頭曰、早已与公別、安用復来。

希文驚問所以、師魯笑曰。

死生常理也。希文豈不達此。

「むむむ・・・」

又問其後事、尹曰、此在公耳。乃揖希文復逝。

俄頃又挙頭顧希文曰、亦無鬼神、亦無恐怖。

言訖遂長往。

それにしても、ここまで至っていたのであるから、尹師魯はずいぶん修行したというべきであろう。

尚未能脱有無之見、何也。得非進退両忘猶存于胸中歟。

後事を嘱する、なんてことがもう何かが残ってしまっている証しですよね。

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宋・沈括「夢渓筆談」巻二十より。沈括からみると、范希文とか尹師魯とかは五十歳ぐらい上だと思いますから、今の老人(例えば肝冷斎)が田中角栄とか立川談志とかの話(ふと思い出した、というだけで深い意味はないです)をしているような感じでしょう。ということは、かなり信ぴょう性が高い。つまり、むかしの人は、死んでも二回ぐらい生き返ったのだ。そんな人たちに死ぬことはあまり恐怖することでは無かったでしょう。
もしかしたらインターネットの将来さえ予想できたかも。わたしは無理、というより、あれよあれよという間に巻き込まれてここまで来ましたが。

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