造于仙位(仙位に造(いた)る)(「真誥」)
明るいとか爽やかというのは無理なんです。じめじめしひね曲がる。竹を割ったように真っすぐも無理。竹が真っすぐになるのは、割る人の能力にもよるようです。必ずしも竹のせいではないのだ。

風見鶏はあちらを向いたりこちらを向いたり忙しいでコケ。「職務に忠実」ということは、上の風向きで方向を変えねばならぬということだと覚えておいてコケ。
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南朝・梁の時代に、四平山の方台と呼ばれる洞窟に住んでいた五人の道士の三番目、
呂子華者、山陽人也。陰君弟子、已服虹丹之液。
呂子華なる者は山陽の人なり。陰君の弟子にして已に虹丹の液を服せり。
呂子華という人は、陝西・山陽のひとである。仙人・陰君の弟子で、ここに来る前にすでに「虹丹」を溶かした液を服用していた。
「虹丹」というのがどういうものかよくわからない(「七色薬」?)のですが、「丹」である以上すごい効能を持っています。他のメンバー(5月25日、5月31日)が「尸解」という方法で一度死んだことにしてこの「方台」洞窟に来ているのに対して、呂子華はそういう手順を踏んでいないので、おそらく生きながら不老長生になる、肉体の細胞配列を変換してしまうようなクスリなのではないでしょうか。
しかしながら、
未読内経。来従東卿、受太霄隠書而誦之。
いまだ内経を読まざりき。来たりて東卿に従いて、「太霄隠書」を受けてこれを誦せり。
これまで道教の真髄を書いた経典を読んでいなかった。ここに来て、東卿真人さまの教えを受けて、「太霄隠書」を授けられ、これを声に出して読んだ。
「霄」(しょう)はもともと「みぞれ」のことですが、「空」(ヴァキュームではなくスカイ)の意味もあるので、「大いなる空の世界の隠された書物」というようなかっこいい本なのでしょう。もちろん、こんな本は現代には遺っておりません。ああ残念だなあ。
これによって身体の改変も真理の認識も出来たので、もう修行の必要もないのですが、この「方台」があまりにもいいところなので、
常以幽隠方台為楽、不願造于仙位也。
常に方台に幽隠せるを以て楽と為し、仙位に造(いた)るを願わざるなり。
ずっと、この方台に隠れ棲んでいるのが楽しいと思い、仙人の位に昇ろうとしないでいるのである。
仙人の方が楽しいのでは、と思うかも知れませんが、「真誥」の他のところを読むと、仙人の世界は宇宙全体のヒエラルキー構造の中にあるので、下っ端の仙人は上位の神仙に使われてツラいらしいんです。
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梁・陶弘景「真誥」巻十四より。「真誥」の中身は、山中宰相・陶弘景が霊媒から伝え聞いたことを記録したものですから、勝手に考えたものではないのです。仙人になるのを嫌がる人たちがいたことは真実である(と信じられていたのである)。
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