行遇仙人(行きて仙人に遇う)(「真誥」)
今日は暑くて風が吹かないので、もうふらふらになりました。まだくらくらします。熱中症でしょう。昨日に比べ台風は遠ざかっているのではないでしょうか。

月末は金太郎で締めよう。今日は満月なんですね。
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現代は五世紀、南朝・梁の時代です。
劉平阿者、無名姓。名姓不示人也。
劉平阿なる者は、名姓無し。名姓人に示さざるなり。
劉平阿というひとは、姓も名前も無い。(無いわけではなかろうが)人に教えたことがないのである。
漢末為九江平阿長、故以為号。
漢末に九江平阿の長為り、故に以て号と為す。
漢の末(紀元2世紀末)に湖南・九江の平阿で村長をやっていたというので、漢が劉姓だったことから、「劉平阿」というあだ名がついたのだ。
行医術、有功徳、救人疾病、如己之病。
医術を行い、功徳有りて、人の疾病を救うに己の病の如くす。
医術を行って、人を救うという功徳を積んだ。他人の病気を救うとき、まるで自分の病気であるかのように熱心であった。
まわりの人の苦痛を自分の苦痛と感じる特異体質(精神感染の一種)のひとはいるらしいので、それかも知れませんし、そうではなくて倫理的なものかも知れません。
そのような功徳を積んだからであろう、
行遇仙人周正時、授以隠存之道。託形履帽、而来居此室。
行くに仙人・周正時に遇い、隠存の道を以て授けらる。形を履・帽に託し、来たりてこの室に居れり。
歩いているときに、仙人の周正時に出会って、彼から「隠れて生きる方法」を授けられた。そこで、自分のくつと帽子に術をかけて自分の姿にすると、それを死体として遺して、自分はここに来て、この室に暮らすことになったのである。
くつと帽子に家事でもさせておけば宝くじ一本分になったかも知れないのに。「この室」とは5月25日に紹介した「別宇の幽館」のことです。5人の住人の二人目。
ここでは、彼は、
常服日月晨炁、顔色如玉、似年三十許人。
常に日月の晨炁(しんき)を服し、顔色玉の如く、年三十許(ばか)りの人の似(ごと)し。
いつも、太陽と月が昇ってくるときの「気体エネルギー」を体に取り込み、顔の輝きは玉のようで、三十歳ぐらいのひとにしか見えなかった。
もう三百歳ぐらいのはずなのに。
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梁・陶弘景「真誥」巻十四より。もう台風さえ来ないであろうというのに、歩いていて仙人に遇うひともいるのだ。怪しから・・・いや、いいですなあ。羨ましいなあ。そういう幸運に巡り合えることもあるのですから、希望を持って生きよう! というプラスの性格になれば、いいことあるかも。
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