無益於治(治に益無し)(「商子」)
風邪気味になっているのではないかと前日に予想して書いております。どうなっているでしょうか。それは明日明らかにできるかも。あるいはもうそんな元気もないかも。

一日一升ぐらいメシを食い、ごろごろする。そういう人にわたしはなりたい。宮沢先生には申し訳ないです。
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人民は怠惰になって農業に務めなくなってしまった・・・という昨日の続きです。
故其境内之民、皆化而好弁、楽学、事商賈、為技芸、避農戦。
故にその境内の民、みな化して弁を好み、学を楽しみ、商賈を事とし、技芸を為し、農戦を避く。
そんな状態になったら、領域内の人民たちはみんな(素朴で無くなって)変化してしまい、言論を好み、学問を楽しみ、商売を仕事にし、技術や芸術を創作し、しかして農業と戦争を避けようとしてしまうであろう。
如此、則不遠矣。
かくの如ければ、すなわち遠からざるなり。
こんなことになってしまったら、もう遠くはないであろう。
何に遠くないかというと、「亡国」です。ここまで来たらもう「亡国」は近い、というのだ。
国有事、則学民悪法、商民善化、技芸之民不用。故其国易破也。
国に事有れば、すなわち学民は法を悪み、商民は善く化し、技芸の民は用いられず。故にその国は破れ易きなり。
国に大事があると、学問をした民はきまりごとをいやがる。商業をしている民はうまく変化して金儲けの方法を考える。技術や芸術を身に着けた民は使いようがない。そんな国はたやすく破滅するのである。
夫農者寡而游食者衆、故其国貧危。
それ、農者寡にして游食者衆ければ、故にその国貧危なり。
さて。農業に従事する者が少なくて、遊んで食っているやつらが多ければ、その国は貧乏で危険になるのである。
今夫螟螣蚵蠋春生秋死、一出而民数年不食。今一人耕而百人食之、此其為螟螣蚵蠋亦大矣。
今、夫(か)の螟・螣・蚵・蠋は春生じ秋に死するも、一たび出づれば民数年食われず。今一人耕して百人これを食らうは、これその螟・螣・蚵・蠋為(た)ることまた大なるかな。
「螟」(めい)はコメなどの茎を食う害虫。「螣」(とう)は葉を食うカミキリ虫。「蚵」(か)はアリの大きなもの。「蠋」(しょく)はイモムシくん。葉っぱを食い荒らします。
たとえば、あの「ずい虫」「カミキリ」「大アリ」「イモムシ」といった害虫どもは、春に出現しても秋には死ぬものである。それでも、ひとたび出現すれば、凶作をもたらして、人民たちは何年間も食えなくて苦しむのである。今、農業者が一人に対して(商業や技芸などで)遊んで食っている者が百人いるとすれば、彼らはこの害虫どもであること、より大きなぐらいであろう。
確かに、現代日本では第一次産業の従事者はもう十パーセントをはるかに切っているらしいので、この状況かも知れません。サラリーマンや商人は、イモムシくんや大アリくんなどなのです。
「税金を取り立てるやつらもイモムシくんでは?」
ばかもの、わしらは国家のために働いているのだぞ!
だいたい、
雖有詩書、郷一束、家一員、独無益於治也。非所以反之之術也。
詩書、郷に一束、家に一員有りといえども、独り治に益無きなり。これを反すの術に非ざるなり。
詩経とか書経とかいった古典が、村に一そろい、家ごとに一人ぐらいそれを学ぶものがいたとしても、われわれが政治を施すのに何の役に立つであろうか。それは、亡国の悪い状態をもとに戻す方法ではないからである。
まったくだ、人民は愚かがよいなあ。〇〇推しとか活とかしててもらえばいいのである。
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「商子」農戦第三より。「昔のひとはいいこと言うなあ、そのとおりだなあ」と思うのは、みなさんが国家を短期的に経営する側にあるときだけ、ではないかと思います。わたくしども人民は音楽で楽しんだり、おカネもうけでホクホクしたり。時には世界の秘密を学んだりしてみたいです。そうすることによって、世の賢い方々より自分がシアワセである、と思えたら、謀反なんかしませんよー。
少し長期的にみれば、人民をしめつけたらバクハツするのも当たり前のこと。君民は同楽し、やがて弱まり、また持ち直す。いよいよダメで滅ぶ前に、今回もなんとか持ち直す。・・・これしかないように思うのです。チャイナの賢者たちもそんなふうに思ったので、やがて法家思想より儒学が盛んになるわけですから、みなさん「商子」なんか読まなくていいですよ、もっとタメになる本を読んでくださいね。
わたしはもう少し読ませてもらおうかな、うっしっし。
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