4月21日 今朝は早かったので一日中眠かった

雞犬無余(雞犬も余す無し)(「後漢書」)

曹操さまの養父・曹嵩さまは、戦乱を避けるため、山東・琅邪の地に向かった・・・。

わしは芋粥を食べに福井県まで行ったんじゃ。食べ過ぎには気をつけねばなりません。

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時陶謙別将守陰平、士卒利嵩財宝、遂襲殺之。

人の親を殺すと「不倶戴天」の敵になります。「倶に天を戴かない」関係というのは、町で見かけたら、家に武器を取りに帰ることも止めて、ただちに襲い掛かってカタキを討たなければならない存在とされます(「孟子」)。

「えらいことしてくれたわい」
と陶謙は、謝罪して許されることでもないので、いまさら部下を罰してもしようがない。そのうち、激怒した曹操さまが、後漢の初平四年(193)、彭城傅陽の町に攻めこんできた。陶謙は郯の町に退いて、ここを守ったが、

曹操攻之不能克、乃還。

その途中、

過抜取慮、睢陵、夏丘、皆屠之。凡殺男女数十万人、雞犬無余。

ネコも殺されたことでしょう。いたら。この時期、中国大陸まで来ていたかどうか。仏教も来てましたから来てたのではないか。おそらく船で。

泗水為之不流。

そのあと何か月も。

初三輔遭李隺乱、百姓流移依謙者、皆殲。

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「後漢書」巻六十三「陶謙列伝」より。何千年もかけてものすごい数の人間を殺しています。おかげで豊かな土壌ができた、というかなんといいますか。にせアンケートで引っ掛けるぐらいなんとも思わないことでしょう。
なお、後漢末の混乱でチャイナの人口は二千万人まで減ってしまったそうです。これなら勝てる?

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