舒屈無方(舒屈方無し)(「夢渓筆談」)
ダメなときは屈しているしかありますまい。

「あほ言いな」とか言われたら、黙っているしかないわれらなのである。
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宋の時代のことです。
銭塘に聞人紹(名高い紹さん)という人がいて、
常宝一剣。以十大釘陥柱中、揮剣一削、十釘皆截、隠如秤衡、而剣鑞無線迹。
常に一剣を宝とす。十大釘を以て柱中に陥らせ、剣を揮いて一削すれば、十釘みな截れ、隠れて秤衡の如く、しかるに剣鑞(けんろう)線迹も無し。
いつも、一本の剣を宝物として持ち歩いていた。十本の大きなクチを柱の中に食い込むぐらいに深く打ちつけて、この剣ですうっとその柱の表面を撫でれば、十本の釘の頭がすべて切断されて、柱には半ば隠れたクギの芯が、まるではかりの印のように残るだけだ。しかも、剣の方の金属には、わずかな線のような傷さえ残らないのだ。
この剣を
用力屈之、如鈎、縦之、鏗然有声、復直如弦。
力を用いてこれを屈すれば鈎(はり)の如く、これをほしいままにすれば、鏗然(こうぜん)と声有りて、また直きこと弦の如し。
ぐぐっと力を入れて折り曲げると、まるで釣り針のようにぐにゃりと曲がる。力を抜くと、「からん」と金属音を立てて、もとのように真っすぐに戻る。弓の弦のようだ。
関中の種諤という人も
亦畜一剣。可以屈置盒中、縦之、復直。
亦一剣を畜わう。以て屈して盒中に置くべく、これをほしいままにすれば、また直なり。
やはり一本の剣を持っていた。ぐぐっと折り曲げると小さな箱の中にしまい込むことができ、取り出してなりたいようにさせると、また真っすぐになっている。
晋の張景陽が剣を論じて言うに、
若其霊宝、則舒屈無方。
その霊宝なるがごときは、すなわち舒(の)ぶるも屈するも方無からん。
不思議の宝のような剣は、伸ばすも曲げるも決まりなどなし。
と。
蓋自古有此一類、非常鉄能為也。
蓋し、いにしえよりこの一類有るも、常鉄の能く為すに非ざるなり。
つまり、三世紀ごろからこのような折り曲げ自由な種類の剣があるようである。ただ、普通の鉄ではこんなことはできますまい。
そりゃそうじゃろうて。
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宋・沈括「夢渓筆談」巻二十一より。「舒屈無方」と行きたいところだが、明日も明後日もひとさまに屈するばかりです。これからとらんぷさんも屈してばかりではイヤになってくるでしょうね。どこかでどかんとやっつけてやりたい、と大統領も思うかも。
学歴も伸縮自在がいいのでは。
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