同一不経(一に同じく経ならず)(「分甘余録」)
この「経」は「正しい、きちんとしている」ぐらいの意味です。

正しく生きよう。ぼくみたいに悪い龍になっちゃダメだよ。
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唐の詩人に李頻という人がいて、福建の建州刺史に在職中に亡くなったという。
伝其没而為神、邦人祀之。
伝うるに、その没して神と為り、邦人これを祀る、と。
伝承では、この人は亡くなった後、神さまとなって、土地の人たちが祀ったということである。
しかるにこのひとは、
遺棄糟糠、別婚士族。
糟糠を遺棄し、士族と別婚す。
糟糠の妻を捨てて、別の士族の女と結婚したのである。
「士族」の女だと正妻になります。そうでなければ妾にすればいいので「婚」して二重結婚したことにならないので批判されないのですが、正妻がいるのに「婚」をしたので批判されているわけです。
ちなみに、「糟糠」は「さけがす」と「ぬか」ですが、これが苦労をともにしてきた妻、の意味になるのは、「後漢書」列伝第十六の「宋弘伝」の記載に拠ります。
・・・光武帝の姉・湖陽公主がだんなを亡くした。帝は彼女と朝廷の臣下について論じ合ったとき、
宋公威容徳器、群臣莫及。
宋公の威容徳器、群臣及ぶ莫し。
「あの宋さんの威厳ある様子、徳ある器量、あなたのたくさんの臣下の中にはあれほどの人はいませんね」
と言ったことから、
方且図之。
まさにこれを図らんとす。
「ちょっと彼の気持ちを訊いてみましょう」
と引き受けた。このあたりが光武帝という人の人間味です。
そこで、ある時、宋弘を呼び出し、屏風の後ろに公主を隠しておいて、こんなことを言った、
諺言貴易交、富易妻、人情乎。
諺に言う、「貴となれば交を易(か)え、富めば妻を易う」と。人の情なるか。
「世間でよく言うではないか、「身分が上がったら友だち付き合いも変わるもの、カネができたら女房も変えなくちゃ」と。人間の心というのはそういうものだよなあ」
すると、宋弘は答えた、
臣聞貧賤之知不可忘、糟糠之妻不下堂。
臣聞く、貧賤の知は忘るべからず、糟糠の妻は堂を下さず、と。
「はて、わたくしはこのように聞いておりますが・・・「貧しく賤しい時代の知り合いを忘れてはならない。酒がすやヌカを食って一緒に苦労してきた女房は、正堂から外してはならない」と。
「堂を下さず」は正妻としての扱いを続ける、と言っているだけで、「別に若いのをこしらえる」ことを否定しているわけではありませんので、念のため。
帝は姉に言った、
事不諧矣。
事、諧(ととの)わず。
「うまく行きませんでした」
「糟糠の妻」は、「(一緒に)酒ガスやヌカを食べた妻」であって、「酒ガスやヌカみたいな妻」ではありませんので、これも念のため。
それにしても、男女共同参画的には、「糟糠の妻」というコトバはどうなのでしょうか。酒ガスやヌカは価値中立かも知れませんが、「妻」がダメかも。
閑話休題、というか男女共同参画に触れたところは取り消しです。
唐の李頻に戻ります。
内行如此、何以為神。
内行かくの如き、何を以て神と為すや。
家庭内の行動がこのよう(に「礼」に外れていた)であるのに、どうして神さまになんかしたのであろうか。
此与宋劉公漫塘以道学正人而伝為瘟神者、同一不経也。
これ、宋の劉公漫塘の道学正人なるを以て伝うるに瘟神と為すものと、一に同じく経ならざるなり。
この李頻の扱いと、宋の劉漫塘というひとが、朱子学を学びスジを通したひとであるのに、伝説では「伝染病の神」にされてしまっているのとは、どちらも同様に、間違っているのではないだろうか。
「瘟」(おん)は、伝染病一般です。
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清・王士禎「分甘余話」巻四より。「ぬかみそ」とは語源が違うので要注意。うっしっし。全勝さんやこの人と違って匿名なのでこんなこと言ってられるんですよね。(笑)
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