暮髪尽白(暮髪ことごとく白し)(「不下帯編」)
いつはりのなき世なりけり神無月たがまことよりしぐれそめけむ
(この世には偽りが無いとしたなら、この十一月のしぐれは一体誰の真心の涙から降り始めたのであろうか。)
という定家卿の多重に本歌を取り込んだ名歌がございますが、シルバーウィークと呼ばれる連休、涙を以て過ごしている人も多いのでしょう。

マンジュシャゲよく見るとやっぱりへんなかっこうしてますね。だが根っこはうまいかも知れんぞ。
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「文選」にこんな句があります。
思君令人老。
君を思わば人をして老いしむ。
あなたのことを思うとわたしは年老いていくばかりだ。
なんで人を思うと年を取るのか。これは当時の諺語(慣用句)である
惟憂用老。
これ憂いをもってのみ老ゆ。
老化は憂愁の思いのみがもたらすのだ。(心配なんかせずに楽しもう)
が下敷きになっているんです。
唐の李太白の詩に言う、
朝心不開、暮髪尽白。
朝心開かずんば暮髪ことごとく白し。
朝、心が晴れやかでなかったら、夕べには髪はすべて白くなってしまうだろう。
李白らしい大げささで苦笑もしてしまいそうですが、それにしてもなぜそんなに自分で自分を苦しめるのか。
明の馮時可の言葉にこんなのがあります。
一事逆而心憎、一言払而心銜。樹荊棘于霊台、障雲霧于天門。
一事逆らえば心に憎み、一言払(もと)れば心に銜(ふく)む。荊棘を霊台に樹(う)え、雲霧を天門に障(さ)う。
たった一つの言葉に傷つけられては心の中で憎しみ、たった一つの言葉が気に入らないだけで心にずっと含み続ける。人間の心と言う不思議な場所にいばらを植え、雲や霧の潤いが頭に昇らないようにするのだ。
ここまでくると、
嗟哉、胡其自隘而自傷乎。
嗟なる哉、なんぞ其の自ら隘にし自ら傷つくるや。
ああ!どうしてそんなに自らを隘路に追い込み、自らを傷つけてしまうのか。
という感じになりますね。
蓋人生幾何、但当快意尋繹。諸言可以送老。
けだし、人生幾何(いくばく)ぞ、ただまさに快意尋繹(じんえき)すべし。諸言は以て老をおくるに可なり。
だいたい、人生というのはどれぐらいあるものなのだろうか。ただただ気持ちのいいことばかり尋ね追い求めるべきではないか。ここに出てくるような言葉は年を取ってから考えればいいことだ。
と言ってますがみなさん如何思われる。
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清・金埴「不下帯編」巻四より。馮時可の一事逆らいて心に憎む、とかいいことばですね。当たり前すぎて、チャイナ古典に教えられる筋合いはない、ということではありますが。
2026安打は名球会入りか、と思って見たら違いました。新聞取ってないので知らないことばかりです。南鳥島は東京ネタ?
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