我不至此(我此こに至らず)(「後山談叢」)
もう鳴りませんよ。

もう鳴らないのか、もとから鳴らないのかはだいぶん違うでジェー。
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宋の時代、蘇東坡先生が新党派の攻撃で黄州に飛ばされ、そこから少し待遇が上がって汝州に移されたとき、金陵(南京)に隠棲していた新党派の領袖・王安石のところに立ち寄った。
王安石は言った、
好箇翰林学士、某久以此奉待。
好箇の翰林学士、某久しく此れを以て奉待せんとす。
ご立派な翰林学士(天子のかたわらで文章を書くプロ)どのよ、わたしはこの地であなたに接待申し上げようとずっと待っておりました。
王安石は大げさですが、本心でしょう。政敵ですがお互い尊敬しあっていたと言われます。
これに対し東坡先生は言った、
撫州出杖革鼓。淮南豪子以厚価購之。而撫人有之保之已数世矣。不遠千里登門求售。
撫州にて杖する革鼓を出だす。淮南の豪子、厚価を以てこれを購わんとす。しかるに撫人これを有しこれを保ちて已に数世なり。千里を遠しとせず登門して售(か)わんことを求む。
辺境の撫州に、有名な杖でたたいて鳴らす革の小鼓があったんです。淮南の都会の大富豪の若者が高いお金でこれを買いたいと言ってきた。だが撫州の所有者は親とか祖父の時代から大切にしてきたものだからと売り惜しんだ。富豪はわざわざ遠い道のりをやってきて、その家の門まで来て、売ってくれと言ったのじゃ。
これには撫州の人も感激して、富豪の青年に物を見せた。
豪子撃之。曰無声。遂不售。
豪子これを撃つ。曰く、声無し。遂に售わず。
富豪の青年はこれをたたいてみた。何度かたたいて、言った。
「音が出ないではないか」
とうとう買わずに帰ってしまった。
撫人恨怒、至河上、投之水中、呑吐有声。
撫人恨み怒り、河上に至りてこれを水中に投じるに、呑吐して声有り。
撫州の人は恥ずかしくて頭に来たので、黄河のほとりまで行って、鼓を水のなかに投げ捨ててしまった。すると、その革鼓は水が入ったり出たりして、ゴボゴボと音を立てた。
熟視而歎曰、爾早作声、我不至此。
熟視して歎じて曰く、爾早く声を作さば、我ここに至らざるに、と。
撫州の人は川に流れていくそれをじいっと見つめながらため息をついて言った。「おまえがもっと前に鳴ってくれていたら、こんなところまで捨てに来なくてもよかったんだよなあ」と。
さてこの革鼓、むかしは鳴ったのだろうか。それとも、最初から鳴らなかったのだろうか。
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宋・陳師道「後山談叢」巻六より。鼓がもう鳴らないので捨てられたことを嘆きながら、水が出たり入ったりのゴボゴボを鼓の音と理解するレベルの持ち主も批判して、二人で大笑いしたのか、それほ表面だけでいけすかないヤツで終わったのか、知識人同士のおもしろいお話しでした。真似してはいけません。なお肝冷庵はもとから鳴らないの捨てられたものであり、社会を恨んでは居りませんぞ。
そ
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