至是争功(ここに至りて功を争う)(「賢博伝」)

資本主義だから功績を争うのは当然ですが。

防災の日だ。クマが救けに来たら死んだふりするのでしょうか。

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海寇初起時、不過五七十人、往来仁和、海寧。

規模的には14世紀ごろの前期倭寇(日本でいう「高麗盗人」)のことを言っているんだと思います。中国沿岸への襲撃は山東あたりが中心だったようですが、杭州にも既に出現していたのでしょう。後期倭寇になると数百人規模で船団を組んで行動しますから、確かに「むかしのは50~70人だった」という言い方になっておかしくありません。

はじめて倭寇の襲撃を受けた杭州では、

地方官軍民壮遇之輒敗、乃請遊僧月空為之首。

月空亦一偉人、所持鉄棒重四十余斤、諸遊僧数十従之、亦各用鉄棒。

明代の一斤は約600グラム、四十余斤≒25キログラムぐらいでしょうか。現在のプロが使っているバットが800~900グラムといいますから、30本分ぐらいを振り回すというのです。アストロ球団並みの超人でしょう。

この月空軍団は、

相約、賊死不得割首級、以尽斃為止。

一般の軍人らは首級をいくつ取ったかで手柄が決められますが、僧侶軍団はそれを目標とはしていなかった。

倭寇がやってまいりました。月空らは、

前撃殺二十余寇、軍壮之。

ところが、

後随者始則観望、至是争功、奪頭自相擾、賊得散走。

僧亦解体矣。月空後不知所終。

「やってられんな」

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明・葉権「賢博編」より。後ろで威張っているやつやベンチに座っているやつのせいで負けるというのは、当たり前過ぎて教訓にもなりませんね。功を争うのに集中せずに冷静な目で・・・と言ってもどうしようもないのでしょう。いつの世もそうなのだ、と考えられるので、今のえらい人(だけ)を批判しているわけではありませんよ。

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