少耐区処(少しく区処に耐えよ)(「宋稗類鈔」)

居眠り起こされたら不機嫌になって当たり前なのに、フキハラの疑いが? もうガマンできません。

スズメバチさまほどの力はなくとも、一寸のわしにも五分の魂じゃ、ついに反抗ののろしを・・・

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南宋の時代、金との戦端を開いた権臣・韓侂冑が敗戦で追い込まれたとき、クーデタで韓を殺し、その首を金帝国に送って屈辱的な和議を結んだ史弥遠(し・びえん)というこれまた権臣がいます。
金への反乱軍を率いて南宋に亡命してきた李全が、淮東で史弥遠政権に見切りをつけてモンゴル側に寝返ったとき(宝慶・紹定年間、1230年前後です)、

史弥遠在廟堂、束手無策。有訛伝全軍已渡江、過行在、京師人民惶惶。

そんなある日、

弥遠夜半忽披衣而起。有愛寵林夫人見其意似非常、亦推枕随之。

すると、

忽見弥遠欲投池中、林急扶起。

「どうせ、どうせみんな死ぬのじゃ」
と涙を流す弥遠に、

泣告曰、相公且少耐区処。

「区処」というのは、棲み処とか家という意味のくだけたコトバです。

それからの史弥遠は誰とも口を利かず一日中ふさぎ込んでいた。フキハラである。だがフキハラは我が国独自の用語らしいので、史書にはそうは書いてありません。

数日後、得趙葵捷書。

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清・潘永因「宋稗類鈔」巻六「憂悔篇」(後悔して憂鬱になるシリーズ)より。よかったです。一日0~3時間しか寝てないとおかしくなってきますからね。
わしも切れずにもう少しここでガマンしてみることにしよう・・・かな。

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