稼穡民之務(稼穡は民の務めなり)(「塩鉄論」)
旅行なんかに行くぐらいなら働け、と言ってます。

山にはクマ、海にはゴンズイ玉が待ち構えている、に違いない。
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漢の武帝のころのことですが、地方から推薦されてきた文学(儒学系の若手学者)は、大夫(重商主義の大臣)に対して言った、
古者十一而税、沢梁以時入而不禁。黎民咸被南畝而不失其務。故三年耕而余一年之蓄、九年耕、有三年之蓄。
いにしえは十に一にして税し、沢梁は時を以てすれば入りて禁ぜられず。黎民みな南畝を被(おお)いてその務めを失わざるなり。故に三年耕して一年の蓄えを余し、九年耕せば、三年の蓄え有り。
古代には収穫の十分の一が税として納められたのでございました(注)。川や沢での魚簗については、季節外れでさえなければ自由に入って行うことができました。あたまの黒い人民たちは、みな南向きの畑に出て覆い尽くすようにたくさんで働き、民の義務を果たしたものでございます。
だから、三年耕作すれば一年分の貯蓄ができ、九年働けば三年分の貯蓄ができたのです。
税金が安く、勤労意欲も高かった。なにより、人民は農業をした。
(注)十一税については、田畑を十に区切り、そのうちの九は民の田で、一だけが公の田であり、この一の田については九人の農民が協力して収穫したのだ、という説もあります。いずれにしても眉唾ですが・・・。
此禹湯所以備水旱而安百姓也。
これ、禹・湯の水旱に備えて百姓を安んずる所以なり。
これが、夏の初代・禹王、殷の初代・湯王といった名君が、水害と日照りに備え、人民どもを安心させた方法なのでず。
だがしかし、
草莱不闢、田疇不治、雖擅山海之財、通百味之利、猶不能贍也。
草莱闢(ひら)かず、田疇治めざれば、山海の財を擅(ほしいまま)にし、百味の利を通ずといえども、なお贍(た)らす能わざるなり。
荒れた草地を開墾することもなく、田の境界の畔を修築もしないのでは、山と海の産物を取り放題にし、いろんな食べ物を交易し放題にしても、腹いっぱいになることはないでありましょう。
是以古者尚力務本、而種樹繁、躬耕趣時、而衣食足。雖累凶年、而人不病也。
是を以て、古えは力を尚(たっと)び本を務め、樹を種(う)えて繁らしめ、躬耕して時に趣(すみや)かにして衣食足る。凶年を累すといえでも、人病(なや)まざるなり。
こういうふうに、むかしは労働を尊重し、本務(である農業)に従事して、木を植えて繁茂させ、自ら耕して時節を先取りしながら働けば、着るもの・食べるものは不自由しないはずです。何年間か凶作が続いても、人民たちは心配することは無かったのです。
故衣食者民之本、稼穡者民之務也。二者修則国富而民安也。
故に衣食なるものは民の本、稼穡なるものは民の務めなり。二者修むればすなわち国富み、民休んずなり。
だから申します、「着るものと食うものは人民の根本であり、耕作して暮らすのが人民の義務であるのじゃぞ」と。根本と義務、この両者がうまく行くならば、国は富み栄え、人民は満足して休息することでしょう。
詩云、百室盈止、婦子寧止也。
詩に云う、「百室盈ちて、婦子寧(やすん)ず」なり。
詩経の大雅・良耜(りょうし)に言うとおり、「百の家が満ち足りて、女子どもも安楽じゃ」
ということになるわけでございます。
でございましょう、大夫どの!
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漢・桓寛「塩鉄論」力耕第二より。これに対し、何を若造が、と大夫の反論がありますが、そちらも資本家は楽していいけど百姓は働けと言うことですので、旅行とかせずに働いているのがいいこととされるのでございます。
もちろん、「易」には「国の光を観よ」と別の国に「観光」に行け、と言ってますが、それは士大夫とか学者の仕事で、わたしどもの仕事ではないのでございます。
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