斂銭糾会(銭を斂め会を糾む)(「清嘉録」)
今年のお盆は涼しいですね。
お盆ですけどお盆らしいことは何もしておりません。お盆は何をする日だったかも忘れてきました。わたし、だけではなく社会そのものが。「盆踊り」をする日だ、という言い方もあるらしいんですが、「盆」とは何か。

大サービスで夜更かしして「お盆」の解説だ。船幽霊も聴いていったいいのじゃぞ。ただし憑りつくのはカンベンじゃ、なんまいだ。
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清の時代のことですが、中元(旧暦七月十五日)になると、
好事之徒、斂銭糾会、集僧衆、設壇礼懺誦経、摂孤判斛、施放焔口。
好事の徒、銭を斂(あつ)め会を糾(あつ)め、僧衆を集(あつ)めて、壇を設け懺を礼し誦経して、孤を摂して斛を判(わか)ち、焔口に施放す。
変わったことをやりたがる人たちは、募金を募り、人々を会合に呼び、僧侶を集めて、仏壇を作りそれに向かって罪を悔悟し、お経を唱え、みなしごたちに食べ物を与え、火を焚いてお供え物を燃やす。
筆者は儒学系の知識人なので、仏教系のひとを「好事の徒」と言っていますが、この会には、特に変な人でなくてもたいていの人が参加します。
紙糊方相長丈余、紙鏹累数百万、香亭旛蓋、撃鼓鳴鑼、雑以盂蘭盆冥器之属、於街頭城隅焚化。
紙に、方相の長さ丈余なる、紙鏹累して数百万を糊して、香亭に旛蓋し、鼓を撃ち鑼を鳴らし、雑うるに盂蘭盆冥器の属を以てして、街頭・城隅にて焚化す。
紙に、方相神といわれる異様な疫病神の姿を数メートルの大きさに描き、これに紙銭数百万枚をおびただしく糊付けして、香木の神輿にのせて旗や傘を立て、鼓を打ち、ドラを鳴らして町中を練り歩き、最後は「盂蘭盆などのあの世で使う日用品」などと一緒にして、街の中や都市の隅で焼いてしまう。
この行事を
名曰盂蘭盆会。
名づけて「盂蘭盆会」と曰う。
名づけて「うらぼん大祭り」というのである。
「盂蘭盆」は現代では、梵語の「ウランバーナ」の音訳である、とされていますが、上の「盂蘭盆」の解釈はちょっと変ではないでしょうか。
―――この説は大丈夫かな?
と言ったのが聞こえたみたいで、著者の顧禄さんは
「はあ? 定説でしょ?」
と自信を持っておっしゃった。
「まずですな・・・」
とその典拠を次々と挙げるのであった。
・・・「釈氏要覧」という仏教事典みたいな本があって、これには
盂蘭者天竺語、猶云倒懸救急器也。
盂蘭なるものは天竺の語、なお「倒繋」に急を救うの器なり。
「盂蘭」(ウラン)というのはインドの言葉じゃ。「さかさ吊り」されてるような緊急状態の時に救済するための装置を言う。
―――うーん。「盂蘭盆会(うらぼんえ)」は釈迦の大弟子・木蓮尊者(モガラーナさま)が神通力で自分の母が餓鬼道に陥っていることを知り、その「逆さ吊り」のような苦しみを救うために、供物を具えて餓鬼救済の大会合を開いた・・・ことを言うので、「盂蘭」を「逆さづり」と訳すのはかなり正しいのです。だが、一か所抜かしてしまっているところがあるんです。「倒懸」(逆さ吊り)は「盂蘭」でなく「盂蘭盆」(ウランバーナ)なんです。それを「盂蘭」だけで訳してしまうと、「盆」とは何であろうか、という疑問が湧いてしまいます。
顧禄さんはわたしが難しそうな顔をして唸ってるのを見ながら、さらに続けた。
・・・「青泥泊」という仏教系の本では、
目蓮救母、具五味百菓著盆中、供養十方大徳仏、得脱餓鬼之苦。
目蓮母を救うに、五味百菓を具えて盆中に著し、十方の大徳仏を供養して、餓鬼の苦を脱するを得しむ。
モガラーナさまが母親を救おうとた際、五つの味の百種類のデザートを用意して、お盆の中に置いた。これによって十方(八方+上下)の大いなるお力を持つほとけたちに供養をし、餓鬼の苦しみから脱け出せるようにしてもらったのである。
と、「お盆」の役割が解説されているわけです。さらに、
南宋・孟元老が北宋時代の首都・開封の様子を画いた「東京夢華録」を閲すると、
中元買冥器、以竹斫三脚如灯窩状、謂之盂蘭盆。掛冥銭、衣服在上焚之。後人且広為華飾、刻木、削竹、飴蝋、剪綵、模花葉之形、為盂蘭盆。
中元に冥器を買い、竹を以て三脚の灯窩状なるを斫り、これを「盂蘭盆」と謂う。冥銭、衣服を掛けて上に在るを焚く。後人かつ広く、華飾し、木を刻み、竹を削り、蝋を飴し、綵を剪り、花葉の形を模して、「盂蘭盆」と為せり。
七月十五日にあの世の日用品を買い、竹を切り出して三本足の灯り皿のようなものを作る。これが「盂蘭盆」といわれる。あの世で使う紙銭、あの世で着る紙の服をこの上に引っ掛けて、焼くのである。近年のひとは、さらに大げさにして、きれいな飾りをつけ、木を彫刻し、竹を削って、蝋を塗り、いろいとを切って、花や葉の形にして、(その入れ物を)「盂蘭盆」と言っている。
―――どうやらほんとに誤解しているようなのですが、黙ってきいております。
・・・南宋の陸放翁「老学庵筆記」によると、
故都残暑、不過七月中旬。俗以望日具素饌享先。
故都の残暑は七月中旬を過ぎず。俗に望日を以て素饌を具えて先に享す。
以前住んでいた都(臨安)は、残暑は七月の半ばぐらいまでしか残らない。ちょうどその満月の日に、粗末な食べ物をお供えして、ご先祖に食べてもらうのである。
織竹作盆盎状貯紙銭、承以一竹焚之、視盆倒所向、以占気候。向北則冬寒、向南則冬温、東西則寒温得中。謂之盂蘭盆。
竹を織りて盆盎の状を作りて紙銭を貯め、承くるに一竹を以てこれを焚き、盆の倒るるに向かうところを視て、以て気候を占えり。北に向かえば冬寒く、南に向かえば冬温かく、東西なれば寒温中を得。これを「盂蘭盆」と謂う。
竹ひごを編んでお盆のような形にして、その中にあの世用の紙銭を入れ、竹を一本支えにしてこれを焚く。竹が燃えるとお盆が倒れるから、それがどちらの方向に向かって倒れたかを見て、これからの気候を予想するのだ。北向きに倒れればその冬は寒くなる。南向きなら暖冬、東西どちらかなら寒くもなく暖冬でもない。この占いを「盂蘭盆」というのである。
蓋俚俗老嫗輩之言也。
けだし、俚俗の老嫗輩の言なり。
まあ、しょうもない庶民のじじいやばばあのコトバだ(から、あんまり意味を詮索してもしようがない)。
と書いてあるのである。
―――かなり間違ったような気がします。とはいえ、顧禄さんが自信を持って典拠としてあげているように、清代までこのまま間違ってきたわけです。
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清・顧禄「清嘉録」巻七より。このように歴代間違ってきたのに、現代人は知っているのですから、如何に現代人がすぐれているかわかります。カネだけ・今だけ・自分だけ、のすぐれた新自由主義を編み出しただけのことはありますね。もっともっとお誇りになってもいいのですぞ。ピノキオのように鼻高々とのう。
この比較にこの間調べた公文書館(ナショナル・アーカイブ)も追加すべきかと思いましたが、よく考えると公文書は美術や文化ではなく「国のかたち」の問題だから比べてもしようがないですね。(中国と比べるべき?)
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