斂銭糾会(銭を斂め会を糾む)(「清嘉録」)

今年のお盆は涼しいですね。
お盆ですけどお盆らしいことは何もしておりません。お盆は何をする日だったかも忘れてきました。わたし、だけではなく社会そのものが。「盆踊り」をする日だ、という言い方もあるらしいんですが、「盆」とは何か。

大サービスで夜更かしして「お盆」の解説だ。船幽霊も聴いていったいいのじゃぞ。ただし憑りつくのはカンベンじゃ、なんまいだ。

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清の時代のことですが、中元(旧暦七月十五日)になると、

好事之徒、斂銭糾会、集僧衆、設壇礼懺誦経、摂孤判斛、施放焔口。

筆者は儒学系の知識人なので、仏教系のひとを「好事の徒」と言っていますが、この会には、特に変な人でなくてもたいていの人が参加します。

紙糊方相長丈余、紙鏹累数百万、香亭旛蓋、撃鼓鳴鑼、雑以盂蘭盆冥器之属、於街頭城隅焚化。

この行事を

名曰盂蘭盆会。

「盂蘭盆」は現代では、梵語の「ウランバーナ」の音訳である、とされていますが、上の「盂蘭盆」の解釈はちょっと変ではないでしょうか。

―――この説は大丈夫かな?

と言ったのが聞こえたみたいで、著者の顧禄さんは
「はあ? 定説でしょ?」
と自信を持っておっしゃった。
「まずですな・・・」
とその典拠を次々と挙げるのであった。

・・・「釈氏要覧」という仏教事典みたいな本があって、これには

盂蘭者天竺語、猶云倒懸救急器也。

―――うーん。「盂蘭盆会(うらぼんえ)」は釈迦の大弟子・木蓮尊者(モガラーナさま)が神通力で自分の母が餓鬼道に陥っていることを知り、その「逆さ吊り」のような苦しみを救うために、供物を具えて餓鬼救済の大会合を開いた・・・ことを言うので、「盂蘭」を「逆さづり」と訳すのはかなり正しいのです。だが、一か所抜かしてしまっているところがあるんです。「倒懸」(逆さ吊り)は「盂蘭」でなく「盂蘭盆」(ウランバーナ)なんです。それを「盂蘭」だけで訳してしまうと、「盆」とは何であろうか、という疑問が湧いてしまいます。

顧禄さんはわたしが難しそうな顔をして唸ってるのを見ながら、さらに続けた。

・・・「青泥泊」という仏教系の本では、

目蓮救母、具五味百菓著盆中、供養十方大徳仏、得脱餓鬼之苦。

と、「お盆」の役割が解説されているわけです。さらに、

南宋・孟元老が北宋時代の首都・開封の様子を画いた「東京夢華録」を閲すると、

中元買冥器、以竹斫三脚如灯窩状、謂之盂蘭盆。掛冥銭、衣服在上焚之。後人且広為華飾、刻木、削竹、飴蝋、剪綵、模花葉之形、為盂蘭盆。

―――どうやらほんとに誤解しているようなのですが、黙ってきいております。

・・・南宋の陸放翁「老学庵筆記」によると、

故都残暑、不過七月中旬。俗以望日具素饌享先。

織竹作盆盎状貯紙銭、承以一竹焚之、視盆倒所向、以占気候。向北則冬寒、向南則冬温、東西則寒温得中。謂之盂蘭盆。

蓋俚俗老嫗輩之言也。

と書いてあるのである。

―――かなり間違ったような気がします。とはいえ、顧禄さんが自信を持って典拠としてあげているように、清代までこのまま間違ってきたわけです。

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清・顧禄「清嘉録」巻七より。このように歴代間違ってきたのに、現代人は知っているのですから、如何に現代人がすぐれているかわかります。カネだけ・今だけ・自分だけ、のすぐれた新自由主義を編み出しただけのことはありますね。もっともっとお誇りになってもいいのですぞ。ピノキオのように鼻高々とのう。

この比較にこの間調べた公文書館(ナショナル・アーカイブ)も追加すべきかと思いましたが、よく考えると公文書は美術や文化ではなく「国のかたち」の問題だから比べてもしようがないですね。(中国と比べるべき?)

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