世変日以文(世変じ日に以て文)(「劉静修集」)

やってられませんからね。(標題が表記されないので何のことを言っているかわかりませんよね。うっしっし)

すでに夏バテしています。ゲリラ豪雨で涼しくなるんですが、すぐにまた暑くなるんでもうダメだ。

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元の時代です。

世変日以文、花卉亦応爾。

この「文」は「かざる」。

懸知太古時、其美不如此。

「懸」はもともと「縣」(繋ける、引っ掛ける)に「心」をつけて、「心に繋ける、引っかかる」の意味だったのですが、「縣」が行政区画(今の文字は「系」が取れた「県」)に使われるようになってしまったので、「心に」の意味なしに、「繋ける、引っ掛ける」の意味になりました。ただし、ここでは、「懸絶」「懸隔」と熟するときの「はるかに」「遠く」の意味で使われています。

世の中の変化、俗悪化を嘆きながら、目の前の花の美しさを称揚している「哲学的」な一篇。

世の中はどんどん変わっていくものでございます。
世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬と為なる
飛鳥・藤原の宮が世界遺産になったそうです。飛鳥川は入らなかったそうです。我々が大切だと思っているものを世界のひとも大切なものと思ってくれるのはうれしいのですが、世界中の今だけカネだけの人たちにインバウンドなんとかに利用されるだけになりませんように。

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元・劉因「村居雑詩」より。「理屈っぽくて鼻につく」という人がいるといけないので念のため言っておきますが、静修先生・劉因は朱子学者でもともと物凄く理屈っぽいんです。フビライ=ハーンから出仕を求められたとき、友人の許魯齋先生はこれに応じ、劉静修先生にも

不如此、道不行。

と薦めたのですが、静修先生は

不如此、道不尊。

といってお断りした(「宋元学案」等に拠る)。フビライ=ハーンが次の王朝の明太祖のように文化人に酷烈な態度を取る人ではなかったので、静修先生は村夫子(いなかのおっさん)として静かに生を終えることができました。
どちらにも優れた弟子がいて次の時代に学風を伝えていくのですが、約400年後、本朝、崎門学の浅見絅齋は劉静修を称賛し、堀川の伊藤仁斎は許魯齋の態度こそ現実を重視する儒学者の採るべき態度と絶賛する。果たして諸姉兄は如何思われるか。

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