誤亦久矣(誤ることまた久しきなか)(「浪迹叢談」)
間違ってました、と認めるのは難しいですね。自分が間違ってるはずないですからね。このなんとか反射です。

古くなったことを除き去り、新しいことを布告するはたらきがあるといわれるよ!従来の政府にできなかったすごい成果を挙げたのだから彗星ぐらい出現してもいいであろう。なぜ出現しないのか。
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清代のことですが、
俗皆称甘羅十二為秦相。
俗みな称す、甘羅は十二にして秦の相たり、と。
現代(19世紀)の世間のひとたちはみんな、「甘羅(かん・ら)は十二歳で秦の国の大臣になったのだぞ」と言っている。
これは、「史記」の甘茂(かん・も)伝に
羅年十二、事秦相呂不韋、以功封為上卿。
羅、年十二にして、秦相・呂不韋に事え、功を以て封じられて上卿と為れり。
(甘茂の孫の)甘羅は、十二歳の時に秦の丞相・呂不韋に事え、功績に応じて上卿の地位を与えられた。
と書いてあるのに基づいているのである。だが、
按上卿非必丞相也。
按ずるに上卿は必ずしも丞相に非ざるなり。
調べてみると、秦の「上卿」は丞相になれる階級ではあるが、必ず丞相になるというわけではなかった。
実際は、
羅祖茂、嘗為左丞相。俗語殆因此而誤。
羅の祖・茂、嘗て左丞相為り。俗の語はほとんど此れに因りて誤まてるか。
甘羅の祖父の甘茂は、かつて左丞相だったことがあるので、ひとびとが(甘羅は丞相だったと)言うのは、おそらくこれと誤解しているのであろう。
しかし、南北朝時代の正史の一つ「北史」に
昔甘羅為秦相、未能書。
昔、甘羅、秦の相と為るに、いまだ書する能わず。
むかし、甘羅が秦の丞相になったときは、(幼くて)まだ字も書けなかったのだ。
と書いてあり、今(清代の終り近く)に至るもそれが改められていないのを見ると、
此誤亦久矣。
この誤ちやまた久しきかな。
この誤解はずいぶん昔からのことなのだとわかる。
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清・梁章鉅「浪迹叢談」続談巻六より。先例にされてしまって大変ですね。
字が書けない丞相がいた先例があるのなら、答弁が〇〇ない総理もいていいではありませんか。←もちろん皮肉ではありません。
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