長二尺許(長さ二尺ばかりなり)(「粤剣編」)
またそろそろ来月のカレンダー考えないといけません。今月は締め切りなくて何もせずにニヤニヤしているうちにもう15日が過ぎてまいりました。
この19パーセントのひとは、どこかで賃金なり売り上げなりを稼いでない、というだけで、わたしのように何もせずニヤニヤして、居眠りしたりスナック菓子をたべたり、ときおり↓のような絵を描いている、という「働いてない」とは違うと思います。家で無報酬労働をしているんだと思います。

意外な組み合わせで(山中などを)歩いているやつがいるかも知れませんぞ。
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晋の時代、3世紀から4世紀にかけて、偉大な道士・葛洪が活躍しましたが、彼が仙人になって去ってしまった時、
留丹於羅浮山柱石間。
丹を羅浮山の柱石の間に留む。
隠棲していた広州・羅浮山の洞穴の柱石の隙間に、仙人になれる丸薬を遺していった。
弟子の黄なにがしという人、
得一粒服之。
一粒を得てこれを服す。
丸薬を一粒拾い取って、これを服用した。
すると、体が大きくなり、着ていたものはすべて破けて、その代わりに体中に毛が生えてきた。かくして、
遂為地行仙。
遂に地行仙と為れり。
とうとう地上に暮らす仙人となったのである。
空を飛んで天上に行ったりはできませんが、不老長寿でいろいろな能力を身に着けたのである。このため、黄なにがしは、「黄野人」(文明的ではない(「野」)黄仙人)と呼ばれるようになった。
それから700年、宋の時代、
道士鄧道立嘗於庵前見其足跡、長二尺許。
道士・鄧道立、嘗(つね)に庵前にその足跡、長さ二尺ばかりなるを見たり。
道士の鄧道立は、つねづね、自分の庵の前に、黄仙人のものらしい足跡を見つけた。長さが61センチぐらいもあったのである。
「でも、なんで仙人の足跡だと分かったのですか?」
という疑問が湧くかも知れませんが、そんなにでかいのだから仙人であることは明らかであった。
又有巡山唖虎、不噬人。
また巡山する唖虎有りて、人を噬まず。
また、羅浮山には、山をめぐっている声の出ないトラがいる。人を噛むことはない。
ただ、踏み入れてはならない場所に足を踏み入れようとする人間がいると、姿を現して彼らを追い払うだけだ。
蘇東坡が
遊羅浮詩云、雲渓夜逢瘖虎伏、是也。
「羅浮に游ぶの詩」に、
雲渓、夜に瘖虎の伏すに逢う。
と云うは、これなり。
「羅浮山に行ってきた」の詩の中で、
雲渓という谷間を夜中に歩いていると、声を出さないトラがじっとうずくまっているのに出会う(かもしれない)。
と言っているのは、まさにこの唖虎である。
そして、さらに500年、
至今山中人間亦嘗有遇野人及唖虎者。
今に至るも山中の人間、また嘗(つね)に野人及び唖虎に遇う者有り。
現代(明の時代)に至っても、この山中で仕事をしている人たちは、よく野人さまと声のないトラに出会うことがあるのである。
ということである。こういう話は考えなければならないヒントがたくさんあって、勉強になりますね。
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明・王臨亨「粤剣編」巻一より。いろいろ眉唾なところはありますが、ジャイアント馬場でさえ十六文≒34センチなのである。馬場さんより強いのですから、トラとともにいる仙人とか野人とか言って神聖視しながら共存していたのだと思います。
現代なら、人間には被害が無くても在来生物を食べてしまうかも知れないので「駆除」の必要が出るかも知れません。(注)
(注)今国会で法定される駆除対象の特定外来生物に「今回ネコは入らない」と●境省が公表したそうです。●境省の人の目には神聖な「生物多様性の教え」しかないのでしょうが、来日二千年になるネコに駆除される在来ドウブツがいまさらいるとしたら、それは人間が彼ら(捕食者・ネコ)をより山中に追い込んだだけではないのか。条例では多くの自治体ですでに実質的に駆除対象になっているので、何かが好転したわけではないのですが、こんなものが役に立つものかと思った電子署名が役に立ったのかも。
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