7月4日 ありがたや米独立記念日という

散以為食(散じて以て食と為せり)(「華陽国志」)

米独立記念日だからどうというわけではありませんが、ありがたい政治の話をいたします。ありがたい政治があったこともあるのです。

仲良きことは美しきかな。同盟国は仲良くしよう。たとえ国民に分断が広がるとも。
ところでこの過料は何に使うのだろうか。

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後漢のころ、蜀の巴郡のひと厳王思は、

為揚州刺史、恵愛在民。毎当遷官、吏民塞路攀轅。詔遂留之。

かくして、

居官十八年卒。百姓若喪考妣。義送者齎銭百万、欲以贍王思家。

生きている間は「父・母」と呼び、亡くなったあとは「考・妣」と呼ぶのが礼の定めです。銭百万がどれぐらいの価値があるのかよくわからないのですが、百万ドル、と考えてみます。本日のレートで1億62百万円! ビッグマックがいくつ買えるだろうか。

だが、

其子徐州刺史不受。

送吏義崇、不忍持還、散以為食、食行客。

「食」は「しょく」と読むと「たべる」、「し」と読むとたべる対象である「たべもの」の意味になります。

「すばらしい! すばらしいですぞ!」

巴郡太守汝南応季先、善而美之、乃作詩。

その詩に曰く、

乗彼西漢、潭潭其淵。君子愷悌、作民二親。没世遺愛、式鏡後人。

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晋・常璩「華陽国志」巻一「巴志」より。「華陽国志」は、「華陽の国の歴史記録」なんですが、「華陽国」という国があったわけではありません。チャイナ古代以来、信仰を集める五岳の一、西岳・華山は陝西省にありますが、その南側(山陽)のことを「華陽の国」とかっこよくまとめてみたみたいです。ただし、「華山の陽」は関中から四川、貴州まで含みますが、この本が対象にしているのは四川のうちさらに巴州と蜀州の範囲に限っているようです。
江南に東晋があった五胡十六国の時代、四川には李氏の、はじめ「成」、途中から「漢」と名乗った国が存在しました。著者の常璩はその国の重臣だった人物で、東晋の名将・桓温が四川征伐に成功したときに、降ってその参謀となった人です。

それはそうとしまして、「こども食堂」は今や「みんなの食堂」と名前を変えて地域の人たちのふれあいの場になっているそうです。当初はとても単純におなかの減った子どもにごはんを食べさせるところだったはずですが、いろんな人たちがいろいろしてこうなっているのでしょう。政府も官民370兆円の投資をするそうですから、そのうち一部を散じて食物を配布し、将来の担い手である子どもに腹いっぱいメシを食わせてはどうか。ネ〇を食うという〇〇人も減るかも。でも、それは自助・共助でやるべきことというのが我が国是、確かに上の義崇の行動も共助ですね。最近反現行政府を隠そうとしていない肝冷庵ですが、これは一本取られましたわい。

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