譎怪多不経(譎怪にして多く経ならず)(「後漢書」)
自分の肉体さえ、食べたくないのに食べてしまうとか、寝てはいけないのに居眠りするとか、ウソ偽りが多く、全く正常ではありません。

しかもじめじめしてきております。
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紀元二世紀のころのことですが、あるひとが言う、
安息(アルサケス朝)の向こうには条支(シリア)があって、その向こうには大秦(ローマ帝国)があるだよ。
ではその向こうには何があるだ?
その人は言う、
有弱水、流沙、近西王母所居処、幾於日所入也。
弱水、流沙有りて、西王母の居処するところに近く、日の入るところに幾(ちか)し。
流れの遅い川があり、移動する砂漠があり、それを越えるともう西王母さまのお暮しになるところの側、太陽が没するあたりに近いということですだ。
待て待て、ですだ。
漢書云従条支西行二百余日、近日所入。則与今書異矣。
「漢書」に云う、「条支より西行すること二百余日、日の入る所に近し」と。すなわち今の書と異なれり。
「漢書」によれば、「シリアから西に二百日以上行くと、そのあたりが太陽の没する付近である」という。これは、おまえさんが今言っていることと違っているのではないだかのう。
ほげほげ。ぶー(おならの音)。
その人は言った、
前世漢使皆自烏弋以還、莫有至条支者也。
前世の漢使はみな烏弋(うよく)より以て還り、条支に至る者有る莫(な)きなり。
前の時代の漢の使者は、みなペルシアのウヨクというところまで行って戻ってきただよ。シリアまで行った者はいなかっただ。
従安息陸道繞海北行出海西至大秦、人庶連属、十里一亭、三十里一置、終無盗賊寇警。
安息より陸道して海を繞りて北行すれば、海西に出でて大秦に至るまで、人庶(おお)くして連属し、十里一亭、三十里一置にしてついに盗賊の寇警無し。
実は、アルサケスから陸の道を選んで、西の海の北側を回りこんで行くと、海(黒海か?)の西側に出ることができて、ローマ帝国に至るだよ。この間は人口が多くて町がつながっており、四キロに宿屋が一つ、十二キロに役場が一つあり、盗賊の襲来を気にする必要はないのですだよ。
ただし、
道多猛虎、獅子、避害行旅、不百余人、齎兵器、輒為所食。
道に猛虎、獅子多く、害を避けて行旅せんとするに、百余人にして兵器を齎(も)たざれば、すなわち食らうところと為る。
道路沿いには猛虎やライオンが多いので、その害を避けて旅をしようとするならば、百人以上で集まってキャラバンを組み、武器を所持していかないと、やつらに食べられてしまうのですだ。
また、こんなことを言う人もいたんだべさ。
有飛橋数百里可度海北。
飛橋数百里有りて海北を度(わた)るべし。
海(黒海?)の北側には、約100キロを「飛ぶ橋」(飛行船? 天の鳥舟?)があるだで、それで渡るだよ。
ほげほげ。
ああだこうだと、
諸国所生奇異玉石諸物、譎怪多不経。故不記。
諸国の生ずるところの奇異の玉石諸物、譎怪多く経ならず。故に記さず。
これらの国で生産される不思議な鉱物やその他の物は、ウソ偽りの変なものばかりで多くは異常である。あってはならないものである。そこで、記録しないでおきます。
なんと。貴重な記録が遺棄されてしまったとは。怪しからんのですだ。
なおここまでは、我々のような文明人がマジメに話したり聞いたりしていると思われるとマズいので、文化の低い田舎者が話しているように訳してみました。
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「後漢書」巻八十八「西域列伝」より。本当に知りたいことが隠されてしまっているとは。世界のことを知らないといろいろ困ると思うのですが。
いや、待てよ。本当のことをスパイに知られてしまうといけない、と考えて国民にも教えない、という考え方かも知れません・・・我々のような文明人ならこう考えるべきですだかも。
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