百川学海(百川、海を学ぶ)(「法言」)
6月6日に雨ざあざあ、あっという間にコックさん。ということですが、関東はまだ梅雨入りしていないのかな。

さじんあらしに気を付けよう。
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雨が降ると川になって海に流れていきます。
前漢の終りごろのことですが、ある人が問うた、
耕不獲、猟不饗、耕猟乎。
耕すも獲られず、猟するも饗せられざるも、耕猟なるか。
二人のひとが間に「艮」(みたいな字)を挟んで向かい合っているのが「郷」の字です。この「艮」は食器の上に食べ物を置いたカタチで、二人のひとがそこで向かい合って飲食している、そういう宴会や、宴会をする社会関係を持つグループが「郷」、下に「食」を着けて、「宴会」の意味であることを明らかにしたのが「饗」。ここでは、狩猟のあとで肉の分け前に与かって宴会に参加することを言っています。それが「不饗」なので、分け前に与かえないことです。
「農耕に従事しても収穫がない。狩猟に参加したのに分け前がない。こんなことで耕作や狩猟といえますか」
何か実質的な利益が無ければ、ハタラきませんよ、というのです。そういえば、今日は芒種節で、「のぎ」のある植物を植える季節だ、というのですが、収穫があるといいですね。
この質問に対し、わしは言ってやった、
耕道而得道、猟徳而得徳、是獲饗已。
道を耕して道を得、徳を猟して徳を得ば、これ獲饗なるのみ。
聖人の道を耕して道を得る、聖人の徳を狩りに行って徳を得る、これだけが本当に収穫し、分け前に与かるということである。(現実的な利益の問題ではないのだ)
吾不覩参辰之相比也。
吾、参と辰の相比(あいなら)ぶを覩(み)ざるなり。
わたしはオリオンの三ツ星とさそり座のアンタレスが天空に並んでいるのを見たことがない。
オリオンとさそり座は同じ空には現れない、ということを言ってます。アキレス腱刺されるからですよね。
―――そのように、道徳を求めることと現実の利益を求めることは、両立するものではないのだ。
是以君子貴遷善、遷善者聖人之徒与。
是を以て君子は善に遷るを貴び、善に遷る者は聖人の徒か。
これゆえに、よき人はより善くなろうとすることそのものを目的にするのだ。より善くなろうとする者は、聖人・孔子のグループである。
百川学海、而至于海。丘陵学山、不至于山。
百川は海を学び、而して海に至る。丘陵は山を学ぶも、山に至らず。
百の川は、海になりたいと思って(流れて行くから)海に至ることができる。だが、丘や陵は、山になりたいと思っているが(動かないから)山に至ることができないのだ。
是故悪夫画也。
是れ故に、夫(か)の画(かく)するものを悪むなり。
そういうわけで、わしは、あの自分を見切って努力しないやつら(得るものが無いからといって耕と猟をしないやつら)が大嫌いなんじゃ。
「百川学海」の典故です。仏典ぽいコトバですが、実はこの人だったんですね。でも丘陵に動けといっても無理では。地殻変動を待つしかないかも。
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漢・揚雄「法言」学行第一より。揚雄の書としては「太玄」をよくご紹介しているのですが、「太玄」は「易」を真似したというか「易」にインスパイアーされて作ったものですが、「法言」の方は「論語」に倣ったものだそうです。古典は真似しようと思うぐらい、何度も読み返して自分のものにするといいですよ。肝冷齋も出てきてますね。
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