我等窮夷(我等、窮夷なり)(「檐曝雑記」)
もう夏バテしてきたみたいです。

ぶたのぼりのように、空を飛ぶこともならず地上に落ちていくのが我等の宿命でござんす。
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蒙古之俗羶肉酪漿、然不能皆食肉也。
蒙古の俗、羶肉酪漿、然るにみな食肉能わず。
モンゴルの習俗はヒツジの生肉と乳酒である、と思われているが、実はみんなが肉を食うことができているわけではないのである。
日本人がみんなコメ食ってたわけじゃないというのと同じですね。
余在木蘭、中有蒙古兵能漢語者、詢之。謂食肉惟王公台吉能之。
余は木蘭に在るに、中に蒙古兵の漢語を能くする者有りて、これに詢(と)う。謂うに、食肉はこれ王公台吉のみこれを能くす、と。
わしは一時、内蒙古の木蘭(むーらん)に赴任しておったが、現地のモンゴル人兵士の中にチャイナ語の出来るやつがおったので、これに訊いてみたところ、そいつが言うには、
「肉を食うことができるのは王さまや公爵さまやお役人のえらい人(台)や立派なお方(吉)だけなんでござんす。
我等窮夷、但逢節殺一羊而已。殺羊亦必数戸迭為主、刲而分之。以是為一年食肉之候。
我等窮夷なれば、ただ節に逢いて一羊を殺すのみ。羊を殺すもまた必ず数戸にて迭(たが)いに主と為り、刲(き)りてこれを分かつ。是を以て一年の食肉の候と為せり。
わたすどもは貧乏エビスでございますから、ただ節句(わたしどもの祭りの日)に、ヒツジ一頭を殺して料理するのが関の山、それも必ずいくつかの家族が順番にもてなしの主人役をしてヒツジを殺し、その肉を分配しあうのです。これによって、一年間の肉を食べられる時期としているのでござんす。
尋常度日、但恃牛馬乳。
尋常の度日は、ただ牛馬の乳を恃めり。
普段の日々を過ごすには、ただウシやウマの乳だけが頼りなんでござんす。
毎清晨男婦皆取乳、先熬茶熟、去其滓、傾乳而沸之、人各啜二碗。暮亦如之。此蒙古人饘粥也。
毎清晨に男婦みな乳を取り、先に茶を熬して熟せば、その滓を去りて、乳を傾けてこれを沸かし、人おのおの二碗を啜る。暮れもまたかくの如し。これ蒙古人の饘粥なり。
「男婦」は「おとこおんな」ではありません。「おとことおんな」です。
毎日、清々しい朝に、男も女もみんな乳を搾る。先にお茶を煮て沸かしておき、茶葉を取り出して、そこに乳を壺を傾けて入れ、再び沸騰させる。これを一人あたり二杯飲む。暮れにも二杯飲む。これがわれらモンゴルの普通の人間のいわば「おかゆ」でござんすよ」
饘(せん)が濃いかゆ、粥(しゅく)が薄いかゆです。
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清・趙翼「檐曝雑記」巻一より。つまりどこの世界にも格差はあるのだ。運命であり神さまが決めたことなんだから納得して、働け。そうか、なるほど、わかりました、働きますふりをします。
それにしても、粗食で健康に暮らしたいものでござんすが、粗食なのに量が多いというだけで太ってくるとは。おそらくわれら窮和が食べているものは、日本料理ではないんだと思います。
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