調査報告 令和8年5月(盛岡)

5月10日(日) ・・・ 盛岡で調査。

〇盛岡市内 ・・・ 9日夜に着きました。寒いので温麺食って、腹ごなし中。

宮沢賢治像。どうしても頭をぽんぽん叩きたくなってきますね。

石川啄木新婚の家です。結婚披露宴に来ない、とかやっぱりそういうやついましたよね、若いころ。

大島喬任生家跡。反射炉作ったひとです。

〇盛岡城(不来方城)・・・「こずかた」というのは中世の言い方で、南部藩は「盛岡の平城」と呼んだそうですが、地元民たちも「こずかた」というかっこいい名前で押し通しているのでこれでいいのでしょう。

不来方城二の丸から本丸へ。ちなみに三の丸に烏帽子岩、二の丸に石川啄木歌碑があります。

盛岡城本丸。台座がのこっているのは日露戦争で戦死された南部の殿さまの銅像があったんですが、昭和19年に供出。

本丸腰曲輪から岩手山を望む。なおこの真下は、藩政時代は北上川でした。今では市街地の向こうに流路が付け替えられています。

〇原敬記念館 ・・・ 平民宰相の記念館があります。

記念館です。ぜひ一二度は行ってみましょう。

原の人生同様、すごく充実していますが、東京の原邸にあったもの(例えば総理の任命書)は関東大震災で焼けたらしいです。

原が刺殺されたときの血染めのシャツ。フランス仕込みでかっこいいんですが、一つのものを何十年も着ていたよし。そこだけはわたしも似ているのだが。

同じ敷地内の原敬生家。元盛岡藩家老格の上級武家屋敷ですが、廃藩後、原の学資のためにほとんどを売り払った残りだそうです。

〇盛岡市先人記念館 ・・・ 新渡戸稲造、米内光政、金田一京介+その他の有名人たち、の記念館です。社会人野球・久慈賞に名を遺す、と言い方をされますが、早稲田、函館太平洋クラブで活躍してグランドで死んだ名手久慈次郎も入ってました。大谷さんとかは花巻だから入らないのでしょう。板垣征四郎は〇犯だからダメなのかな。あるいはどこかにいたのかも。

入口の横に「クマ注意のため南口は閉ざしております」の貼り紙がありました。他の施設にもなにがしかクマのことが書いてあります。

〇岩手県立博物館 ・・・ 立派な博物館です。自然系は充実していると思います。民俗・考古系がもっとぐっと来て欲しい感じ。ちょっと食い足りません。

エントランスのこの毘沙門天(複製ですが)はかっこいいですね。

上に男性器を目立つように作られた人形もあり、ここらへんは東北らしくておもしろいです。

〇石川啄木記念館・渋民尋常小学校・齋藤家

旧渋民村(現在は盛岡市に編入)の石川啄木記念館。なおこのあたりは修験の盛んな地だったそうです。啄木のおやじは浄土宗だっけ。坊主で地元と喧嘩したり、逃亡したり、息子と似たり寄ったりです。息子の方がまだ立派かも。

ガキどもに何やら言っている啄木の像です。後ろは渋民尋常小学校。

登録文化財の渋民村尋常小学校。啄木のおかげで遺った、と言われるのですが、啄木は生前から地元ではスターだし、中央でも注目の若手文人だったんで、われら凡愚とは違います。本人がそれぐらいでは納得しなかっただけで。

こちらは啄木が一年ぐらい棲んでいた齋藤家別邸(要するに離れです)。二階の屋根裏で小説を書いていたそうです。

〇湯舟沢環状列石 ・・・ 有名な環状列石遺跡。縄文末期、続縄文期、弥生初期の複合遺跡ですが、日本には石造遺跡はない、と中央の方では決めてあったのに、戦後こんなところ列石遺跡が出てしまい、その後日本中で発見されました。あまり明確に言われませんが、岩手山、青森のは岩木山、神奈川のは富士山、などたいてい山岳信仰とセットではないかと思われる場所にあります。北海道のはそうでもなかった。

ここもクマ注意なんだろうなあ、と思いながらごろごろしたりしてみました。

借りたレンタカーが軽で助かった。大きいのは無理です。来週はどこに行こうかなー。

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