忘其未食(そのいまだ食せざるを忘る)(「列朝詩集小伝」)
その逆は既にあるんです。意識的に二回食うこともあるんです。しかし食べてないのを忘れることはまずない。

「負けるもんか でもおそらくだめか」の精神が大事です。講師もこの精神でどんどん引き受けてください。そのうち誰も頼みに来なくなると思います。
そういえば今日は新月だったんだ。
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元の末ぐらいのことですが、
呉文泰、字・文度は浙江・呉県のひと、
性耽于詩、常従事幕府、文書堆案、一無所省。
性、詩に耽り、常に幕府に従事して文書案に堆(うずたか)きも、一も省みるところ無し。
生まれつき作詩に耽溺する性格で、(行政能力はあるので)いつも地方政府に参画していて、文書が机の上にうずたかく貯まるのだが、少しも開きみようとはしなかった。
そんなことをせずに、
与同郡丁敏遜学為友、無日夕吟不休。
同郡の丁敏・遜学と友為りて、日夕無く吟じて休(や)まず。
同じ出身地の友人丁敏、字・遜学というやつと友人となり、昼間も夜も詩を作ってやまなかった。
両人嘗閉戸共為詩、人見其終日突無烟、往視之、両人方瞠目相対、忘其未食也。
両人かつて戸を閉ざして共に詩を為るに、人、その終日突に烟無きを見て、往きてこれを視るに、両人まさに瞠目相対して、そのいまだ食せざるを忘るなり。
二人はある時、門戸を閉じたまま二人で詩を作っていた。別の知人が彼らの家の煙突に一日中煙が立たないので、病に臥せっているのではないかと心配して戸をこじ開けて様子をみたところ、二人は暗がりに向かい合って座り、目をぎらぎらにみはって、必死で詩を作っていた。
朝から一度も食事をしていないことを忘れていたというのである。
そんなことばかりやっていて、あほになってしまったにちがいないのですが、なにしろ元末・明初の大混乱期の後ですから、まだしもまともな方だったのかも知れません。
呉文度は、洪武年間に涿州の知事となった(文書は省みなかったが何らかの形で仕事はしていたので認められた?のでは)が、
坐累謫徙雲中、卒。
坐累して雲中に謫徙せられ、卒す。
人の罪に連座して西南の辺境・雲貴省に流罪になり、そこで死んだ。
明のはじめごろはちょっとしたことから大疑獄が起こり、何千人もいっぺんに殺されてましたから、流罪でよかった、ついていた、のかも知れませんね。
遜学、老于教授、固窮自好、詩不甚伝。
遜学、教授に老い、もとより窮するは自ら好めども、詩は甚だしくは伝わらず。
丁遜学の方は、田舎の先生で年をとり、もともと貧乏な上に貧乏が好きなんだからそれはしようがないが、詩があまり伝わっていない。
先輩推重遜学、今人不復知其氏名、可歎也。
先輩、遜学を推重するに、今人またその氏名も知らざるは、歎くべきなり。
(今は清代なのですが、明の時代の)先人たちは、丁遜学はひとかたの詩人として重んじていた。それなのに、今の人たちはその名前も知らんというのである。残念なことではありませんか。
まあでも大抵はそうやって「肥し」になっていくんですからしようがないですよね。
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清・銭謙益「列朝詩集小伝」乙集より。銭謙益が明の「列朝」(代々の皇帝)の詩を集めたすごい長い本に、作者たちの伝記を書いてくれたのですが、詩の方はどこかに行ってしまって、伝記の方だけが遺ったのが、「詩集小伝」。明の時代のひとは変なひと(マニア系とかフェチシズムに走るひととか)が多いので、変な人の伝記集として読んでも案外おもしろいです。今日のところはおとなしめの人をご紹介しました。スマホでここを見ている子どもさんがいるといけませんからね、うっしっしっし。
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